昔は「犬のフン」がよく落ちていたが…マナー改善したのに「不寛容な人」が増えたワケ
犬の糞の放置も問題でした。道路の舗装が進んでいなかったために「自然に還している」という感覚をもつ人が多かったことや、今日とは衛生観念が異なっていたことから、犬の糞はそのままにされることが多かったのです。 私が小学生だった1980年代前半においてすら、今よりもマナー水準はかなり低かったと言わざるをえません。当時はよく街中に犬の糞が落ちており、ときどき踏んづけてしまっていたのを思い出します。しかし、今は野良犬の数が減少したことに加えて、愛犬家のマナーも大幅に向上し、そういった光景を目にすることは珍しくなりました。 ● マナーがよくなった日本人も SNSでは他人の行動に不寛容 人びとのこのようなふるまいの変化は、より明確な犯罪行為との関連でも論じることができます。警察の取り締まり方針や通報のされやすさの変化などから犯罪の認知件数は大きく影響を受けるため、犯罪統計の解釈には注意が必要です。しかし、それらの影響を受けにくい重大犯罪の被害状況から判断する限り、過去との比較において日本の治安は大幅に改善されてきたと言うことができます。とりわけ若年層による犯罪の減少は、子どもの数自体が減っているということを考慮に入れても、目覚ましいものがあります。 もちろん、これはあくまで統計的にみられる傾向で、個別には凶悪な犯罪が発生する可能性はありますし、泣き寝入りされやすい性犯罪は依然として深刻な水準にあるとも考えられます。それでも、全体としてみれば、日本社会は以前よりもずっと品行方正になってきたのです。 にもかかわらず、ソーシャルメディア上では他人の行動を批判する声が絶えません。その理由として考えられるのは、人びとの心が狭くなった、言い換えれば不寛容になったという可能性です。けれども、過去との比較で言うなら、人びとはある意味でずいぶん寛容になったと言えるのです。
● 結婚前のセックスについては 昔よりも寛容になっている件 その寛容さがもっとも顕著にみられるのが、性や結婚、出産など、考えようによっては人生にとってきわめて重い意味をもつ領域です。 NHK放送文化研究所が5年ごとに行っている意識調査によると、結婚前のセックスは許されないと考える人は1973年には過半数の58%に達していました。それ以外の内訳をみると、婚約していれば可が15%、愛情があれば可が19%、無条件で可が3%でした。しかし2018年には、許されないと考える人は17%にまで減ったのに対し、婚約で可が23%、愛情があれば可が47%まで増え、無条件で可も7%となっています。 この質問項目ほどには過去に遡れないものの、結婚については1993年に「人は結婚するのが当たり前だ」とした回答者は45%でしたが、2018年には27%にまで減少しました。また、「結婚したら子どもをもつのが当たり前だ」とした人は1993年には54%だったのに対し、2018年には33%に減っています。 性や結婚、あるいは子どもをもつことは、かつては強力な社会規範が働いていた領域でした。もちろん、今でもそういった規範がなくなったわけではなく、地域や家庭によっては強く残っているところもあるでしょう。また、結婚するか否か、子どもをもつべきか否かという選択については寛容さが広がっているにしても、結婚しないまま子どもをつくるといった選択への寛容度は低く、見方によっては家族に関する規範が強く残っていると考えることも可能です。 それでも、相対的にみれば、従来の規範は力を失い、自分の人生を自分で選択できる人が増加しました。あるいは、選択しなくてはならなくなった、と言うこともできます。