新国立劇場《夢遊病の女》で開幕。声の至芸の饗宴
新国立劇場のオペラ2024/25シーズンは、今月3日にヴィンチェンツォ・ベッリーニの《夢遊病の女》(新制作)で開幕した。最終舞台稽古を取材した。 【画像】その他の写真 旋律を自然でなめらかに歌うイタリアの伝統的な歌唱法「ベルカント(bel canto=美しい歌)」を駆使する18世紀末~19世紀前半のイタリア・オペラを「ベルカント・オペラ」という。古今のオペラの中でも「声の芸術」の性格が強い。《夢遊病の女》はその「ベルカント・オペラ」の最高傑作といわれ、人間の歌の魅力を心ゆくまで堪能できる作品。つまり、とにかく「声」そして「歌」だ。 主役二人が圧巻。 アミーナ役を歌うクラウディア・ムスキオ(ソプラノ)はまだ20代のイタリア期待の新星。ベルカントの華ともいえる高音域のアジリタ(コロラトゥーラ)は絶品で、ベッリーニならではの超絶技巧の装飾的な旋律を次々に、いともたやすく歌いこなすのを聴くと、呆然として笑うしかない。しかも中音域もボディのあるしっかりした声だから、ベルカントやレッジェーロの役に限らず、幅広いレパートリーで活躍するにちがいない。今後も目が離せない新たなスター。 そしてエルヴィーノ役のアントニーノ・シラグーザ(テノール)。1964年生まれだから、日本流にいうと今年で還暦。でもキング・オブ・ベルカントは健在だ。そのつややかな高音、軽やかな歌には1ミリの衰えも感じられない。さすがだ。アミーナとのぴったり息のあった二重唱にもほれぼれ。 日本人キャストたちも負けていない。とくにロドルフォ伯爵役の妻屋秀和(バス)とリーザ役の伊藤晴(ソプラノ)は、よく練られたクォリティの高い歌唱で重要な役どころを見事に演じ切っていた。第1幕第2場でこの二人が接近するシーンはなかなかの体当たりの演技で、ちょっとどきどきしてしまった。 その充実の歌手陣を率いるのはベルカント・オペラのエキスパート指揮者マウリツィオ・ベニーニ。オーケストラ(東京フィルハーモニー交響楽団)を緩急自在にドライブして、歌手たちを自由に歌わせる。ただし、リハーサルはじつに理詰めで、歌手とともにスコアを丁寧に読み込んでいくタイプだという。いつまでも聴いていたくなるような幸せな音楽。第2幕のクライマックスが近づいてくると、「もう終わりか!」と寂しくなる。 演出はバルセロナ出身のバルバラ・リュック。彼女はダンサーを起用して、アミーナが夢遊病を発症する原因であるストレスを描く。ダンサーたちはアミーナをいたぶり、威嚇し、背後から覆いかぶさる。 そのストレスの背景にあるのは、ともすると冷酷でさえある、閉鎖的な村社会だ。合唱(新国立劇場合唱団)の村人たちが終始無表情で歌うのが強烈に不気味。結婚を祝う時でもアミーナの浮気疑惑を非難する時でも、つねに同じうつろな目で、感情をあらわにすることはない。顔の見えないネット民たちが根拠のない誹謗中傷で個人を集中攻撃する現代と、状況が似ているかもしれない。強い悪意がなくとも、平然と人を傷つける群衆。 ハッピーエンドのはずのラストにも暗い予感が漂う。アミーナにしてみれば、婚約者も村人たちも、誰も自分の潔白を信じてくれなかったのだ。「はいそうですか。わかってくれてありがとう」と簡単に許せるはずはないだろう。教会の屋根のひさしの上で夢から覚めた彼女。最後の喜びのカバレッタを歌い終わると、一転けわしい表情を見せ、地上の村人たちに襲いかかるような、屋根から飛び降りるような仕草を見せた瞬間に暗転。幕が降りる。 (あらすじ) アミーナと地元の裕福な農夫エルヴィーノは結婚間近。ところが、ある日村にやってきた伯爵ロドルフォの部屋でアミーナ寝ているのが見つかり、彼女の浮気を疑ったエルヴィーノは激怒して婚約を解消する。じつはアミーナは夢遊病で、無意識でさまよううちに伯爵の部屋に迷い込んでいたのだった。誤解が解け、二人は元のさやにおさまる。 新国立劇場のベッリーニ《夢遊病の女》は、マドリードのテアトロ・レアル、バルセロナ・リセウ大劇場、シチリアのパレルモ・マッシモ劇場との共同制作。2022年12月にマドリードで初演され、東京のあと、バルセロナとシチリアでは来年上演される。 10月3日、6日、9日(水)、12日(土)、14日(月・祝)の全5公演。上演時間は休憩を含めて約3時間。東京・初台の新国立劇場オペラパレスで。 取材・文:宮本明 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場 新国立劇場オペラ「夢遊病の女」 10月3日(木) 18:30 10月6日(日) 14:00 10月9日(水) 14:00 10月12日(土) 14:00 10月14日(月・祝) 13:00 新国立劇場 オペラパレス