「命令の実行者が絞首刑」石垣島事件の過酷な判決 ほかのBC級戦犯裁判はどうだった~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#46
「命令による実行者」ほかの裁判では
命令の実行者、しかも藤中松雄のような下士官も絞首刑という厳罰が下された石垣島事件。ほかの横浜裁判ではどうだったのか。 福岡の西部軍事件で、1945年6月19日の福岡大空襲で母を亡くし、翌日、西部軍敷地内で米軍機搭乗員4人を斬首した冬至堅太郎大尉が、1953年1月27日付けで巣鴨委員会の戦犯事件調査票に書き込んだ申し立て事項がある。 右の如く類似事件に比し判決加重なり 中部軍事件 処刑実行者 無罪 東海軍事件 処刑実行者 10年(執行停止にて出所) 西部軍事件 処刑実行者 終身 西部軍事件の関係者は、石垣島事件の判決を聞いて、自分たちも同じ目に遭うのではないかとかなりのショックを受けたようだ。 9ヶ月後、冬至堅太郎大尉らが関わった計約33人の米軍機搭乗員処刑事件(油山事件)の判決は12月29日に宣告された。 冬至大尉は絞首刑だったが、石垣島事件の7人が死刑執行された3ヶ月後、終身刑に減刑された。その2年半後に、この調査票を書いている。 〈写真:冬至堅太郎の戦犯事件調査票(国立公文書館所蔵)〉
銃殺で無罪 極めて軽い判決も
「BC級戦犯裁判」(林博史著 岩波新書2005年)の中に、これらの事件についての記載があった。 それによると、中部軍管区の中部憲兵隊が1945年7月5日から8月15日にかけて計44人の搭乗員を処刑した事件の裁判があり、司令官の中将ら27人が被告になったが、 「この裁判では死刑はなく、全員、終身刑以下の刑にとどまった。また命令に従って処刑を実行した者で、正規の処刑方法である銃殺に関わった准尉以下の10人は無罪となった。全体として極めて軽い判決だった」 BC級戦犯裁判(林博史著)より とある。 〈写真:冬至堅太郎大尉〉
東海軍「下士官以下は実質的に無罪」
また、東海軍のケースでは、1945年5月下旬から1ヶ月ほどの間に、27人の米軍機搭乗員を斬首して処刑し、司令官の中将以下20人が起訴された。 「判決では司令官だけが絞首刑になったが、参謀など将校は終身刑から15年、処刑を実行した下士官と兵13人は10年の重労働になった。ただし下士官と兵13人は服役が免除されたので、ただちに釈放された。つまり命令に従って処刑を行った下士官以下は形式的には有罪であるが、実質的には無罪と同様の扱いを受けたのである」 BC級戦犯裁判(林博史著)より 〈写真:東海軍が捕虜を殺害した現場(愛知県瀬戸市赤津町・国立公文書館所蔵)〉