「ラストホール」監督・主演の秋葉美希を池松壮亮が称賛「気迫が素晴らしい」
秋葉美希の監督・主演作「ラストホール」をひと足先に鑑賞した、俳優の池松壮亮、細川岳、映画監督の平波亘ら著名人のコメントが到着。また連日行われるトークイベントのゲストも発表された。 【動画】本日公開!秋葉美希が監督・主演を務めた「ラストホール」特報映像はこちら 秋葉が父との別れの経験をもとに、7年の歳月をかけて完成させた本作。踊ることをやめたダンサーの暖は父・陽平の死から背を向けて生きてきたが、彼の死から6年がたったある日、故郷からやってきた幼なじみの壮介から陽平の残した1枚の「食べたいものリスト」をたどる帰路へ無理やり連れ出される。そして2人は陽平の面影に触れながら、咀嚼できない思いと向き合っていくのだった。秋葉が暖、川瀬陽太が陽平、田中爽一郎が壮介を演じ、高尾悠希、優美早紀、吉行由実、森羅万象、鈴木卓爾、荒木健吾、夏美沙和もキャストに名を連ねた。 池松は「秋葉美希さんの気迫が素晴らしい」「乗り越えられない傷みと、確かに残る温かく優しい記憶の感触が、映画に刻まれ誰かに届くということを本気で信じて作られたこの映画に出会えて心から嬉しく思います」とコメント。細川は「冒頭から、暖はずっと怒っていた」「怒りの原因は実は曖昧なんだと思う。その曖昧さに共感し、彼女を追っていた」と語り、平波は「自分が何者だろうが、人には誰もが語らないと前に進めない物語があるということを証明した理想的処女作」とつづった。 田辺・弁慶映画祭セレクションの1作品として、本日9月6日に東京・テアトル新宿で上映が始まる本作。初日舞台挨拶には監督・キャストがそろうほか、9月7日以降の本編上映後に行われるトークイベントには藤原季節、サトウヒロキ、諏訪珠理、黒住尚生、枝優花、今泉力哉、平波らが登壇する。詳細は下記や映画の公式サイトで確認を。 「ラストホール」は9月12日までテアトル新宿、9月22日と23日に大阪・テアトル梅田で上映される。 ■ 「ラストホール」上映後トークイベント登壇者 東京都 テアトル新宿 2024年9月6日(金)初日舞台挨拶 秋葉美希 / 川瀬陽太 / 田中爽一郎 / 高尾悠希 / 優美早紀 / 吉行由実 / 森羅万象 / 鈴木卓爾 / 荒木健吾 / 夏美沙和 2024年9月7日(土) 藤原季節 2024年9月8日(日) サトウヒロキ / 諏訪珠理 / 黒住尚生 / 野川大地 / すがまとしみつ 2024年9月9日(月) 枝優花 2024年9月10日(火) 今泉力哉 / 平波亘 / 村田唯 2024年9月11日(水) 土山茜 / 里内伽奈 / 根矢涼香 / 近藤笑菜 ■ 池松壮亮(俳優)コメント 秋葉美希さんの気迫が素晴らしい。 迷いながら投げやりに吐かれる主人公の不器用な言葉が、記憶と向き合ってきた日々の大きさと孤独を語っている。 様々な葛藤や停滞を経た気迫が画面いっぱいに満ちている。 乗り越えられない傷みと、確かに残る温かく優しい記憶の感触が、映画に刻まれ誰かに届くということを本気で信じて作られたこの映画に出会えて心から嬉しく思います。 ■ 児玉美月(映画文筆家)コメント 「食べること」は「生きること」であり、「生きること」は「食べること」でもある。だから大切な人の好きな食べ物の味は、その人の人生の味といってもいいのかもしれない。もう言葉を交わすことが叶わなかったとしても、生きているわたしたちは味蕾でその味を感じることができる。「ラストホール」は、そんなことを想わせてくれる映画だった。 ■ 杉田協士(映画監督)コメント その夜風の匂いを知っている気がする。きっとだれもが思い出す。 ここにこの地上のすべてがある。 ■ 常間地裕(映画監督)コメント “食べる”ってすごく無防備だ。 食事をともにすると、人となりが分かってしまうような、バレてしまうようなふしがある。 「ラストホール」はそうした食べることを通じて、過去と向き合っていく。 食べ物の匂いが漂う旅路の先、ステージの上で生きてきた彼女が何を想い、何を見るのか。そしてこれからどう歩んでいくのか。僕がもしこの映画を観たあなたと一緒に食事をしたのなら、恐らくポロポロと、自分の胸の内に秘めた言葉たちを溢すのだろう。 ■ 平波亘(映画監督)コメント 自分が何者だろうが、人には誰もが語らないと前に進めない物語があるということを証明した理想的処女作。台詞の情報に頼らない映像的な語りが心地良く、決して楽しいだけでない記憶と向き合いながら想像の喜びに溢れてるという幸福。是非この映画に出逢ってください。 ■ 細川岳(俳優)コメント 冒頭から、暖はずっと怒っていた。 あいつを許せない、自分を許せない、そのどちらでもないかもしれない。 怒りの原因は実は曖昧なんだと思う。 その曖昧さに共感し、彼女を追っていた。 寝起きのビールや海の街のあのぬるさを自分も確かに知っている。 ■ 渡邉隆介(キネマ旬報シアター 番組編成)コメント 私たちは誰も彼女たちのことを知らないのに、どうしてか彼女たちの感じる世界に想いを馳せることができてしまう。その繊細さを目の当たりにすると、映画というものはこのために存在するのではないかと思わずにはいられません。おそらく一人の人間が一生に一度しか撮れない映画です。幾多の映画作家たちもまずはここから歩みを始めたのです。