ネタは栃木一本、ひな壇番組でも目立てない――U字工事、それでも“消えない理由”
福田:たまにディレクターさんに「訛り強めで」とお願いされて、自分でギア1つ上げてる時は「ビジネス訛りだな」って思います。ただ、家でも「俺だべ」とか「言ってっぺ」とか普通に使ってますよ。(東京出身の)妻に「何? 笑わせようとしてんの?」といじられますけど。 益子:ビジネス訛りって言われたら、それまでなんですけど(笑)。俺は栃木の中でもすげえ訛ってる福島や茨城寄りの山間部出身で。急に標準語で喋るのはおかしいんで、方言1本でやらせてくださいということですね。
1年目、芸人としての年収は8000円だった
栃木ネタに辿り着くまでの道のりは決して平坦ではなかった。大田原高校2年の時、福田が同じクラスの益子を誘ってコンビ結成。当初は標準語で正統派漫才をしていたが、桜美林大学1年の1997年、浅草キッド主催のお笑いライブに出演した際に「もっと栃木訛りを出したほうがいい」と助言を受け、方向転換する。卒業直前に事務所に所属したが、1年目の芸人としての収入は8000円。2人で東京・町田市の金属加工工場で10年近くアルバイトに励んだ。 当時、漫才の掴み1分は栃木ネタ、残り3分は全国の田舎ネタだったが、2007年末にテレビ朝日の藤井智久プロデューサーの勧めで栃木に絞った。助言に耳を傾けたことで今がある。そんな素直さとは裏腹に、福田は頑固な一面も持つ。
益子:何組もの芸人で山形へ営業に行った時、休憩時間にみんなで名物のおそばを食べに行ったんですよ。コイツだけ来なくて。なぜか、飛び込みで床屋さんに行っていた。 福田:俺の中でベストな時間の使い方をしたつもりだったんですけど。 益子:知らねえ地で、飛び込みで床屋さん行くって、おまえ。 福田:天童の床屋さんでした。 益子:北海道に営業で行った時も、日本一おいしいと評判のソフトクリームをみんな食べてんのに、1人だけ「俺、いらない」と言って、無機質な壁を見つめながらブラックコーヒーを飲んでた。駅のベンチで電車を待っていて、到着したのに乗らないこともあったな。 福田:ぼっーとしちゃって。 益子:俺は別のベンチにいたんですよ。「鹿島鉄道は1時間に1本しか来ねえからな」と釘刺してるのに、ドアが閉まったらまだ座っていて。タクシーで2万ぐらい掛けてきたよな。