なんと12日間燃え続けた…「長周期地震動」で発生した「史上最悪の石油コンビナート火災」
長周期地震動で最悪の石油コンビナート火災
私が防災の道を志すきっかけとなったのは、1964年6月16日の新潟地震(M7.5)。震源は新潟県粟島南方沖40kmだった。この地震の後、日本における史上最悪の石油コンビナート災害(火災)が発生する。翌日現地で見たのは、遠く鳴り続けるサイレン音、鼻をつく油の焦げくさい臭い、黒い煙で覆われた真っ黒な空だった。当時の新潟市には化学消防車が配備されていなかったため、自治省消防庁経由で東京消防庁に応援を要請。要請を受け、蒲田消防署を主力とする化学消防車5台が出動し、懸命の消火活動を行った結果、消し止めることができた。それでも、出火から鎮火まで約12日間燃え続け、143基の石油タンクと民家347棟が焼失した。 【画像】「南海トラフ巨大地震」で日本が衝撃的な有り様に…そのヤバすぎる被害規模 当初、原因は液状化(当時は流砂現象と呼んでいた)によるものといわれていた。しかし、後日の調査で長周期地震動によるスロッシング(液面揺動)が原因と判明。1周期5秒ほどの長周期地震動で、浮屋根が損傷、原油が露出し蒸気が大気に放出され、静電気と推定される火源によって火災となったものとされる。このように石油コンビナートにとって、長周期地震動は極めて厄介な天敵である。 浮屋根とは、タンク内の貯蔵液面上に浮かべた屋根で、主な役割は液体の「蒸発抑制」と「雨水等侵入防止」。浮き屋根が液体量の増減と連動し上下してタンク内の空気と液体の接触面積を減らす。それにより液体の蒸発を抑え、大気汚染を防ぎ、火災や爆発の危険性を防いでいる。浮屋根とタンクの間にはシールがあり、雨水の侵入も防いでいる。すべての石油タンクが浮屋根方式ではなく、タンクの上にドーム状の屋根を設置したドーム屋根方式や、固定屋根方式などもあるが、それぞれにコスト、機能、安全性などで一長一短があるという。 ともかく浮屋根は地震に弱い。とくに長周期地震動の揺れと共振すると、スロッシングが起き、浮き屋根も液体の揺動によってタンクの側壁や底板を損傷させるだけでなく、浮屋根そのものがひしゃげたり沈没したりしてしまう。それによってタンク内の液体が露出し、その蒸気が空気中に放出され、火災や爆発の要因となる。そのため、浮き屋根の周囲にゴム製のバンパーを設置し、地震時の浮屋根と側壁の衝突を緩和する対策が取られているものもあるが、揺れ方によっては絶対安全とは言えない。 長周期地震動由来の石油タンク火災は、その後も発生している。03年9月26日十勝沖地震(M8.0)の時である。最大震度6弱は北海道浦河町だけで、ほかは震度5強以下の揺れだった。しかし、震源から約250kmも離れ、震度5弱の苫小牧市内で、1周期6~8秒の長周期地震動が観測された(K-NET)。苫小牧市周辺の脆弱な地下構造が長周期成分を増幅させ、それが石油タンクのスロッシング周期と一致したことが主な要因とされる。長周期地震動のゆっくり長い揺れが、タンク内の液体を大きく揺らし、7基の石油(ナフサ)タンクの浮き屋根を沈没・損傷させ、地震の2日後に火災が発生。付近の配管から漏洩した石油にも引火し延焼していく。消火活動は困難を極め、約4日間燃え続けた。 東京湾沿岸には石油や天然ガスの貯蔵・製油所を始め、それらを原料とする様々な化学製品を作る石油化学工業や、火力発電所、製鉄所などが軒を連ねている。各施設には浮屋根式の貯蔵タンクもあり、南海トラフ巨大地震時に3mの津波や、揺れ幅4mの長周期地震動が襲えば、湾岸や埋め立て地域の軟弱地盤によって揺れがさらに増幅され、スロッシングによる内容物の揺動、浮屋根損傷、危険物漏洩、大規模火災発生の可能性もある。そして…地震から11分~200分後、東京に2~31mの津波が押し寄せてくる。