陶芸家ともう一つの顔 寺尾作次郎 没後40年も色あせず 鹿児島市で企画展
鹿児島テレビ
陶芸家で、薩摩焼の発展の一翼も担った寺尾作次郎。 没後40年となった今も色あせない作品のルーツは、陶芸家とは違うもう一つの顔にもありました。美川アナウンサーの取材です。 皆さんは、寺尾作次郎という陶芸家を知っていますか? 1898年、明治31年に福岡県北九州市に生まれ、1940年から20年にわたって、鹿児島工業試験場の窯業部長を務めました。 当時、質が低下し安価なものになっていた薩摩焼を研究し、再び伝統工芸品としての価値を高める一翼を担った人です。 作品を見れば、その人となりが分かるはず。 仲良く手をつなぐ子どもたちに、小鳥を手に乗せる優しいしぐさ。 なんともほっこり、牧歌的な陶芸作品です。 苦手な言葉は「弱肉強食」だった、なんてエピソードもあります。 没後40年を迎えた寺尾作二郎の世界観をひもとく企画展が、鹿児島市の三宅美術館で開かれています。 案内してくれるのは学芸員の三宅環さん。 鹿児島にゆかりの深い陶芸作品がありました。 美川愛実アナウンサー 「ちょっとお茶目な表情が見えますが、これはカッパ..たちですよね?」 三宅美術館 学芸員・三宅環さん 「薩摩川内市役所の前にあった噴水に設置されていたカッパ像になります」 かつて薩摩川内市役所(当時は川内市役所)にあった噴水のガラッパ像。 よくみると、魚を見つめたり、ちょこんと座ったりなんとも愛らしい表情です。 モデルは自身の息子。イメージ図にもあどけなさが感じられます。 見る人を和ませる作品を残した陶芸家、寺尾作次郎。 しかし、寺尾にはもう一つの顔があります。 伝統的な和の模様。みやびでしなやかな動物たち。 そう、これが寺尾のもう一つの顔、図案家です。 図案家とは明治時代以降、着物などの柄や下地を考案していた職業で、今で言うデザイナーです。 実は寺尾は鹿児島に来る前の18歳から42歳までは、東京や京都で図案家としても活躍していました。 遊び心あふれるデザインもありました。 エジプト柄の訪問着。 三宅さん 「帯が難しいですよね」 美川アナウンサー 「私だったら金色っぽい帯留めにしたいですね」 三宅さん 「帯留めはフンコロガシとか」 手がけたのは着物だけではありません。 何の柄として考案されたのか想像するだけでも楽しい図案もあります。 例えば、チューリップのような模様は…壁紙の案。 ビビッドな色使いが目を引く金魚たちは、テーブルかけ、幾何学的な模様は…カーテンの案、でした。 これらの柄をまとめた図案集には、模様がびっしり。 当時はこの図案集から柄を選び、雑貨や本の表紙のデザインなどに使用されたそうです。 美川アナウンサー 「全然古さを感じさせないデザインですよね」 三宅さん 「明治42年に発行されているが、みずみずしい感性で描かれていて、現代でも通用する図柄だと思う。焼き物を作るにあたっても、きちんと図案を残しているところが元図案家らしいところ。焼き物に限らず多岐にわたる技術、感性を見ていただきたい」 牧歌的な陶芸家の顔と、粋で都会的な図案家の顔。 寺尾の2つの顔を知ると、作品の深い魅力が味わえるかもしれません。 「没後40年 寺尾作次郎美学の系譜」は、鹿児島市の三宅美術館で12月21日まで開かれています。 入館料は一般500円、高校生300円、小中学生200円、70歳以上100円です。
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