オードリー・タンが語る「独学と孤独」 答案を白紙で提出し、14歳で学校を辞めた天才の思考
インターネットが提供するコミュニティ
中学2年で学校を中退するまでに、オードリーは六つの小学校に通い、そのうち1年間はドイツでも学んでいる。欧米の教育の洗礼を受けたことで、成績に対する考え方は完全に変わった。工場の生産ラインのように規則的な作業を求められ、規定の時間内に定められた学習内容を順序どおりに完了させなければならない旧来の教育システムは、まったく合わなかった。 9歳の1年間を両親と共にドイツで過ごしたのちも、ずば抜けた才能を見せたことから、名門校への進学をすすめられるものの、すべて断った。旧来の教育システムのなかに、自分に適した道は存在しないことがわかっていたからだ。 「1位だの2位だのという順位のプレッシャーがなくなって、初めて自分の進むべき方向が見えてくる。順位は他人がつけるものであり、それにとらわれることは、つまりは他人が示した道を進んでいるに等しいのです」 北政中学に在学しながらのホームスクーリングで取り組んだ、「ネット上では、人はなぜすぐに相手を信頼したり憎んだりするのか」といった研究テーマも、台湾の小中高生が参加する科学コンクール「科展」で選んだテーマも、高校受験にも大学受験にも役に立たない、完全に個人の興味が高じた自発的な探求だった。 ホームスクーリングを始めたオードリーが出会ったのは、大量の哲学思想だけにとどまらない。1990年代はインターネットとワールドワイドウェブが急成長した時代で、おびただしい量の情報が潮のごとくネット上にあふれ、人々を興奮させた。 オードリーは、「インターネット世界がすばらしいのは、実名を出しても出さなくても、世界のどこかで必ず意気投合する相手を見つけられる点です」と語る。独学をする者が何かに関心を持ち、それにまつわる組織やコミュニティを作りたいと考えたとき、その実現のために最適な場を提供してくれるのがインターネットなのだ。
精神的柔軟性と情緒的なバランスが必要
独学をする者にとって、孤独を克服し、意気投合する仲間を見つけることと同じくらい重要なのは、大量の情報のなかからいかに自分だけの知識体系を作り上げていくかという問題だ。 2020年にオードリーとのオンライン対談で、テクノロジーの未来について独自の見解を示した、新鋭の歴史学者で思想家のユヴァル・ノア・ハラリは、著書『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(河出書房新社)の冒頭にこう書いている。「的外れな情報であふれ返る世界にあっては、明確さは力だ」 明確さが重要なのはなぜか? ハラリはこう述べている。私たちが暮らす世界は未曽有の困難に直面している。大量にあふれ返るフェイク情報が、人々に誤った選択をさせ、明確なビジョンを持ち続けることは難しくなっている。詰め込み式の教育は洋の東西を問わず、依然として現代教育における最大の欠点だ。 欧米で盛んな自由主義教育は、学生たちに自ら思考することを促す。だが、膨大なデータを学生たち自身に自由に消化させつつも、系統立った世界観を構築するよう求めるのであれば、それもまた詰め込み式教育にほかならない。 産業革命の時代、詰め込み式教育により、知識は工場の生産ラインのように自動的に伝承され、蓄積されて、工業化を推し進める力となった。だが、現在の人類は、急速な気候変動・AI・ビッグデータ・遺伝子工学・アルゴリズムなど、かつてないほどさまざまな課題を抱えている。 過去の知識をいくら蓄積しても、未来の問題は解決できない。現代社会を生きる者は、どんな年齢層であっても、つねに新しいことを学び続け、未来に対する認識をアップデートしていくことが求められる。 「そのような世界で生き延び、栄えるには、精神的柔軟性と情緒的なバランスがたっぷり必要だ」この言葉は、オードリーがこの世界を理解したり、知識体系を構築したりするときの心境を表現するのにぴったりだ。