オードリー・タンが語る「独学と孤独」 答案を白紙で提出し、14歳で学校を辞めた天才の思考
競争より共創という考え方
本人が語っているように、14歳で旧来の教育システムを離脱してから、オードリーは大学で聴講するほかに、老舗の茶館「紫藤廬(ツートンルー)」でプログラミングの愛好家たちと定期的に集まったり、プログラミング言語「パール(Perl)」の世界的なコミュニティにオンラインで参加したりしていた。 このコミュニティを通じて、国の垣根を越え、世界各地から集まったプログラミング言語のマニアたちと出会えた。それ以上に重要なのは、共に何かを作り上げる仲間ができたことで、毎朝、目覚めるのが楽しみになったという点だ。毎日、少しでも自分の能力を生かして貢献することができる。 たとえ今日、問題の解決方法が見つからなくても、コミュニティの誰かが一緒に考え続けてくれる。ほかの誰かが解決方法を見つけたら、自分もさらに思考を深め、別の問題解決に貢献することができる。このコミュニティでは、みんなが互いのアイデアを結びつけることで、よりよい結果を生み出していた。 「別の言い方をすれば、ヒーローへの幻想を捨てることです。ある特定の分野に力を捧げることは、ずば抜けた才能を持つ一部の人だけにしかできないわけではない。競争より共創という考えにより、直線的な教育の束縛から逃れることができました」 小学2年からギフテッド・クラスで学び、つねにトップの成績を収めていたオードリー。同級生からカンニングを要求されるも拒否したことで、数人に追いかけられ、蹴られたこともあるという。このころは、まだテストの点数を気にかけていた。しかし、中学2年になるころには、成績に対する考え方は百八十度変わっていた。答案を白紙で提出し、順位を争うこともしなくなった。 ギフテッド・クラスの生徒は統一入試を受ける必要がなく、学期中に実施される定期テストの成績に応じて高校への推薦が決まる。白紙の答案を出すことによって、高すぎる成績をつけられることを避け、ほかの同級生の希望する進路に影響を与えないようにしていた。