イスラム嫌悪からトルコに移住する世界のムスリム・エリートたち…「人と知の中心」イスタンブールで進む文明の再編
内田樹氏、中田考氏との共著『一神教と帝国』を上梓した山本直輝氏。現在、イスタンブールで教鞭を執る山本氏が、イスラエル・ハマス紛争をめぐるトルコ国内の言説状況と、従来の国際秩序の危機を打開する文明の再編の様子とその可能性について言及した。 【画像】2022年8月10日、イスタンブールでヨーロッパのムスリム向けに開催された特別講演『西洋のムスリムが直面する困難』のポスター
イスラム嫌悪からトルコに移住する世界のムスリム・エリートたち
日本からだとどうしても遠い国の出来事になってしまうが、トルコにいるとイスラエル・パレスチナ紛争は身近である。先月、私の学生の兄がパレスチナでイスラエル軍の空爆によって亡くなった。トルコのテレビ局で働く私の友人は今、取材のためにイスラエルにいる。 トルコにおける「イスラエル・パレスチナ言説」というと、もっぱらイスラエルやパレスチナに対するエルドアン大統領の外交姿勢やトルコのメディアの反応が紹介されるだろう。例えば、エルドアン大統領はイスラエルのパレスチナへの空爆を受けてイスラエルを「テロ国家」と批判し、一方でムスリム同胞団系イスラム組織ハマースを「テロリスト」として批判しない、と発言している。 トルコは親イスラム、世俗主義、国家主義、マルクス主義などイデオロギーによって社会が大きく分断されやすいが、ことイスラエル・パレスチナ紛争において国民は総じてパレスチナに同情的である。先日も、イスラエルのジェノサイドを非難する大規模なデモがイスタンブールで行われた。 パレスチナへの共感的態度に代表される、トルコのいわゆる「西側」に批判的な政治的姿勢、あるいはムスリムとしての連帯を促す社会の雰囲気はトルコ国内だけではなく、海外、特に欧米の高等教育を受けたエリート層のムスリムを強く惹きつけている。 あくまで筆者の体感であるが、おそらく10~15年くらい前からイギリスやアメリカからムスリムが家族連れでイスタンブールに移住するケースがかなり増えている。イスタンブールでイスラム的に保守的な住民が多いウスキュダルは、近年の開発と投資によって海岸沿いに大きな図書館やカフェが立ち並ぶおしゃれな地区となっているが、カフェでトルコ・コーヒーを飲みながら英語で雑談している人たちがたくさんいる。 アヤソフィアやグランドバザールなどがあるイスタンブールのヨーロッパ側とは違って、住民の居住区であるアジア側のウスキュダル地区は普通の観光客が訪れる場所ではないため、彼らのような英語話者の多くは欧米からの移住組である。彼らの多くはヨーロッパやアメリカ生まれのムスリム二世、三世でアイビーリーグやオックスブリッジなど欧米の名だたる大学を卒業しているエリートである。そのような人たちが家族と共により安心して生活できる場所、あるいはより仕事や学問に集中できる場所を探してイスタンブールに移ってきたのだ。 このような現象は、欧米で根強い「イスラムフォビア(イスラム嫌悪)」とそれに起因するヘイトスピーチ、ヘイトクライムが背景にある。例えば、アメリカのイリノイ州で10月14日、ムスリムだという理由でパレスチナ系の6歳の少年が刃物で殺害されたほか、母親が重傷を負う事件があった。犯人は彼ら家族が住んでいた家の家主である。 警察がやってきたとき6歳の少年は既に26回、めった刺しにされていたという。また、11月22日にはニューヨークで屋台を営むムスリムの男性に対し、「パレスチナのこどもを4000人殺してもまだ足りない」など執拗に中傷行為を繰り返し、ヘイトクライムの容疑で男性が逮捕された事件があった。しかも、逮捕された男性はなんとオバマ米政権時代に国家安全保障会議高官を務めていたスチュアート・セルドウィッツで、南アジア担当幹部を務めた経歴を持つ。 これらの事件を受けて、イギリスからイスタンブールに移住してきた私の友人の一人はこう言った。「私たちの家族や親戚、友人がどれだけ殺されたとしても、ムスリムのこどもがナイフでめった刺しにされたとしても、我々の友人が目の前でどれだけ侮辱されたとしても、私たちがメディアに出た時に聞かれる質問は、“あなたはハマースをテロリストだと思いますか?”というものだ。これが自由を保証された理性的な議論なのか?」 さらにイスラエル・パレスチナ紛争を巡る言説では、欧米のムスリムコミュニティが一枚岩ではないことを顕在化させている。アメリカで最も有名なムスリム説教師の一人であり、カリフォルニアでイスラム系のリベラルアーツカレッジ「ザイトゥーナ学院」を運営するハムザ・ユースフ・ハンソンは、11月10日、アメリカのメディアに出演しインタビュアーから「ジハード」の意味について問われ、本当のジハードとはエゴとの戦いであると答えた。 イスラエル・パレスチナ紛争が続いている状況を踏まえてのインタビューであったことから、ハムザ・ユースフ・ハンソンの「非暴力・平和主義」に聞こえる発言は、イスラエルの「ジェノサイド」を批判せず、パレスチナ側の「抵抗」を暴力として暗に非難するものであり、かつイスラエルの空爆によって殺害され続けているパレスチナ人の犠牲や苦しみに寄り添っていないとして、アメリカだけでなく世界的にムスリムから失望の声が上がった。 彼のようなスタンスを取るムスリム知識人は一定数おり、ムスリム社会からは欧米社会に「忖度」する逃げ腰の態度として批判されやすい。例えば、アフリカ系アメリカ人の作家タハナシ・コーツは自身がパレスチナを訪問した時の経験を踏まえて、イスラエルの政策を、かつてアメリカでアフリカ系アメリカ人が体験した分離政策であるとはっきりと発言していることと比較すれば、このようなムスリム知識人の対応が歯切れの悪いものであると受け取られることは想像に難くない。