企業価値を50年間「略奪」してきた「真犯人」は誰か 「イノベーション衰退」「極端な所得格差」の要因
2人は、アメリカで最も代表的な略奪的価値抽出者であるカール・アイカーンに焦点を当て、1980年代の「企業乗っ取り屋」時代の価値抽出活動と、後の「ヘッジファンド・アクティビスト」時代の活動に分けて、その軌跡をたどっている。両者を対比させることで、価値抽出のイネーブラーによって行われた規制変更の罪深さがいっそう鮮明になる。 ■「ステークホルダー」のコーポレートガバナンス体制 そもそも、「株主価値最大化」のイデオロギーは、企業のすべてのステークホルダー(利害関係者)の中で株主だけが企業の生産能力への投資に対するリスクを負っており、したがって株主だけが企業利益に対する請求権を有する、という前提に立っている。
しかし実際には、一般株主は、配当やキャピタルゲインを期待して上場企業の発行済み株式を購入した資産運用投資家にすぎない。それゆえ一般株主は、直接投資家とは異なり、企業の生産能力への投資を行うことはほとんどなく、それを行う能力も意欲もないのである。 ラゾニックとシンは、企業の生産能力への投資に対するリスクを負っているのは、むしろ労働者や納税者であり、彼らこそが企業利益に対する請求権を有していると主張する。労働者は雇用されている企業を通じて、納税者は政府による物的インフラや知識基盤への投資を通じて、リスクを伴う生産能力への投資を日常的に行っているからである。
2人は、現在の「株主価値最大化」のコーポレートガバナンス体制に代わる、労働者や納税者を含む「ステークホルダー」のコーポレートガバナンス体制を提言する。それは、略奪的価値抽出の経済から価値創造型経済への転換のための処方箋とも言うべきものである。 ラゾニックとシンの「株主価値最大化」のイデオロギーに対する批判は、多面的な分析に基づく極めて根本的な批判である。その点では、これまでも少なからず見られたような、あくまでも経営者の側に立ったもの、短期主義の批判にすぎないもの、単にその行きすぎを指摘するだけのものなどとは一線を画す。
本書は、現時点で最も優れた、包括的な「株主価値最大化」のイデオロギー批判の書と言えよう。
鈴木 正徳 :翻訳家