連合軍の空からの攻撃に対抗したドイツの「旋風」【IV号対空戦車ヴィルベルヴィント】─戦車ビフォー・アフター!─
戦車が本格的に運用され「陸戦の王者」とも称されるようになった第二次世界大戦。しかし、戦車とてその能力には限界がある。そこでその戦車をベースとして、特定の任務に特化したAFV(装甲戦闘車両)が生み出された。それらは時に異形ともいうべき姿となり、期待通りの活躍をはたしたもの、期待倒れに終わったものなど、さまざまであった。 第2次世界大戦の緒戦での連戦連勝はどこへやら、同大戦後半のドイツ軍は、連合軍の優勢な航空戦力により空軍が劣勢化。そのせいで、自慢の戦車部隊も空から手酷く痛めつけられていた。空軍を頼れない以上、陸軍としては「自分の身は自分で守るしかない」と判断し、対空戦車の開発に力を入れることになった。 幸いにもドイツ軍は、20mm機関砲を4連装化した2 cmFlakvierling 38対空機関砲を保有していた。そこで、連合軍パイロットたちに「魔の4連装」として恐れられた同機関砲を、戦車車台に載せて自走化することが考えられた。 車台に選ばれたのは、ドイツ軍のもっともポピュラーな中戦車であるIV号戦車だった。同戦車の砲塔と砲塔旋回装置を撤去し、代わりに2 cmFlakvierling 38を収めたオープントップ(天井がない開放式)の新しい銃塔を搭載。360度全周旋回で俯仰角はマイナス10度からプラス100度なので、対空射撃だけでなく地上掃射も行えた。 この砲塔は上から見ると9角形で、全周が16mm装甲板で造られており、低空を高速で飛び抜ける連合軍のヤーボ(ドイツ語の「ヤークトボンバー」の略。連合軍の対地攻撃機の総称としてドイツ軍将兵はこう呼んだ)を追尾するため、旋回速度の速い油圧旋回装置が搭載された。 完成すると本車にはヴィルベルヴィントの愛称が付与されたが、これはドイツ語で「旋風」という意味である。 ヴィルベルヴィントは、車台にはほとんど手を加えずにIV号戦車を改造して造れるので生産性は良好だった。しかし新規の車台ではなく、前線から修理やオーヴァーホールのため本国に戻って来る同戦車を改造したので、生産数は100両に満たなかったとされる(84両説や122両説がある)。 このように生産数こそ少なかったものの、連合軍による空からの脅威に晒され続けていた前線部隊では、対空戦闘のみならず対地攻撃にも使えることとも相まって、概ね好評を得ている。
白石 光