元テレ東・森本智子さん「健康と美」テーマに起業も「実際の経営は『WBS』の企業取材とは、まったく違いました(笑)」
「女子アナ黄金期」といわれた1990~2000年代に注目を集めながら、“消費”されることに抗った人気アナウンサーたち。新たな場所でも全力疾走し、キラリと輝いていた! 【画像あり】企業取材20年! 商品は森本さん自らモデルを務める 2000年にテレビ東京に入社した森本智子さんは、もともとビジネスに興味があった。 「そもそもの私は、地元のの長崎を出るつもりもなかったんです。東京に出るのはかなり抵抗があり、行かない、行かないって泣きまくって、抵抗したんですけどね……。結局、上京してみたら半年くらいでなじみました。最初は、地下鉄がわからなかったなあ(笑)」 大学3年生のときに「第15回ミス早稲田キャンパスアイドルコンテスト」にエントリーし、ファイナリストに。ファッション誌の読者モデルなども経験した。 「就職活動では、テレビ局は面接が早かったので、試しに受験してみましたが、本当は商社に行きたかったんです。ビジネスで世界を飛びまわりたいという目標があったんですが、ご縁があってテレビ東京に入社させていただきました。アナウンサー試験の準備はまったくしていなかったものですから、驚きました」 2000年前後のテレビ東京は『出動! ミニスカポリス』などの深夜番組や、『たけしの誰でもピカソ』など、独特のバラエティが人気だったが、森本さんは入社以来、経済・報道一筋だった。 「他局のアナウンサーさんとの交流もなかったですし、“女子アナがタレント化”みたいな話は、違う世界で存在しているんだろうなと(笑)。入社してからは、『WBS(ワールドビジネスサテライト)』との出会いがあり、経済キャスターが楽しくて。いろんな企業に取材に行き、経営者の方のお話も聞ける。それが楽しすぎて、あっという間に20年、経ってしまった感じでした。ただ、忙しすぎて体調を崩したこともあって、そのときに振り返って『自分の生き方や働き方をいま一度、見つめ直してみたい』って思ったんです」 コロナ禍と、番組のクールが終わるタイミングが重なった2021年、森本さんはテレビ東京を退社した。 「『WBS』での企業取材では、自分がビジネスをするならここは気をつけないといけないな、と、つねにアンテナを張りめぐらせていました。だから、経営も“同じ畑”だと思っていたのですが、実際はまったく違いました(笑)」 いま森本さんが展開する事業は、心身を健康に保ち、仕事や生活を楽しめるよう後押しする、サービス・商品を提供することだ。 「私の会社『Wellness Me』は、健康と美を柱にしたメーカーです。第1弾の商品は、がんの早期発見検査キット。採尿カップを女性に合うように工夫し、デザインも女性向けにしました。いまは、純度の高い培養液を使ったクリームや、抗酸化力の高い化粧水、美容液を販売しています」 経営者として3年め。仕事に追われながらも、楽しい日々だという。 「つねに、どう販路を広げるかとか、この人に連絡して、あの人にも電話しなきゃ……と、ずーっと24時間365日、会社のことを考えていて、休まる暇がありません(笑)。でも、ストレスじゃないんです。お手伝いしてくれるスタッフはいるんですけど、基本的にはひとりでやっています。美容系のイベントに出展してる時期は、ブースに立って接客して、それ以外の時間はあいさつ回り。準備期間を含めて、ほとんど眠れないんです。健康を扱っている仕事ですから、気を使わないといけないんですけど、たぶん本能的にチャレンジ精神が強すぎて、突き進んじゃう生き物なんだなって理解し始めたところです。アナウンサー時代も、仕事を夢中でやりすぎて、体力が続かなくなって、ある日パタッと倒れたんですよ」 ライフステージの変化という点では、ご結婚などは? 「1回も経験ないです(笑)。アナウンサー時代は、どっちかというと結婚したくないなと、何となく思っていたんです。紙で契約して、自分の幅が狭まるような気がしていて。まはそういう気持ちもなくなって、機会とかチャンスがあれば結婚するかもしれないし……しないかもしれないし、こだわりはないですね。ないですけど、正直、会社があるからそれどころじゃないです(笑)。いつか、何も考えずにホワンと生きるときが来るのかもしれないけど、いまは、課題をクリアしながら生きていくのが楽しいですね!」 取材もビジネスも、全力疾走の姿勢は変わらない。 もりもとともこ 1977年生まれ 長崎県出身 早稲田大学卒業後、2000年にテレビ東京入社。2021年に退社し、「Wellness Me」を設立。フリーアナウンサーとして、経済系のイベント司会などもおこなう 写真・久保貴弘
週刊FLASH 2024年8月6日号