初の大回顧展が開催中!田名網敬一の冒険する記憶とは?
むせかえるほどの色とイメージの氾濫。国立新美術館にて初めての大回顧展『田名網敬一 記憶の冒険』を開催中の田名網敬一の冒険する記憶とは? 【写真】田名網敬一の作品 ※このインタビューは7月に行なったものです。田名網敬一さんは8月9日、お亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りいたします。
愚問だとわかっていても、どうしても聞きたくなってしまう。田名網敬一は、なぜ60年以上も創作活動を続けられるのか? 「よく聞かれるのですが、自分としてはそのときに関心をもったことや、やりたかった仕事を一生懸命こなしてきただけです。大事なのは、最後まで真剣にやり通すということじゃないでしょうか。そうしないと次が見えてこない」と田名網。 1936年生まれ、武蔵野美術大学在学中にデザイナーとしてデビュー。日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなどグラフィックデザインに立脚しつつ、平面作品、立体作品、映像など、ジャンルを問わず作品を発表してきた。それらは常に注目を集めてきたが、近年、アーティストとしての世界的な評価が高まり、2019年の「adidas」とのコラボレーションや2023年のプラダ 青山店での展覧会開催など、海外からのラブコールも目立つ。所属ギャラリー「NANZUKA」の南塚真史が解説する。 「2000年代初めに1960~70年代のポスターやイラストレーションを集めた田名網の作品集が出版され、それをきっかけに60~70年代生まれの世代の再評価が高まりました。『マリークヮント』や『ポール・スミス』もいち早く称賛の狼のろし煙を上げています。私は2006年から田名網作品を扱い始めましたが、翌年のNANZUKAでの個展と上海でのアートフェア、2008年のドイツとスイスの名門ギャラリーでの個展を経て、世界が田名網を発見する流れとなりました」 発注を受けて創作する仕事と、アーティストとしての活動の違いを田名網に問うと、「基本的には同じです。もちろんポスターやアルバムジャケットなどの目的や相手のことは考えますが、それも作品作りの延長であり一環です。ファインアートの作品も、その先には観てくれる人、あるいは自分自身がいます。何のための作品かというテーマ自体が、もう古い」 展覧会を観れば納得だ。高さ5mの壁いっぱいを埋め尽くす作品を前にした鑑賞者にとって、制作の目的は瑣末な情報でしかない。 「僕の作品は、グラフィックデザインからコラージュ、ペインティング、立体作品、実験映像と、いろんなものがあります。昔は、アートならアート一本でやらないとダメだといわれましたが、今はそうではない」 最後に、幼少時代の戦争体験が創作の大きなベースとなっている田名網にとって、現代がどう見えているかと聞いてみた。 「いつの時代も危機はあった。人間社会がすぐに善人だけの世界になるわけはない。僕は、ただ作品を作ることしかできないし、それがアートや文化に関わる人間の仕事だと思います」 田名網敬一(たなあみ・けいいち) 1936年東京都生まれ。1958年銀座画廊で初個展を開催。1963年ポップアートに出合い衝撃を受ける。2015年以降、漫画家の故・赤塚不二夫をはじめ、ファッションブランドやミュージシャンとのコラボレーションが加速度的に増加 BY NAOKO ANDO
『田名網敬一 記憶の冒険』 会期:~11月11日 会場:国立新美術館 企画展示室1E 問050-5541-8600(ハローダイヤル)