「国辱映画」と罵られて…『007は二度死ぬ』エピソードに見る日本とイギリスの温度差
---------- 『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画に主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた、大俳優・丹波哲郎。 そんな丹波が、「霊界の宣伝マン」を自称し、中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。 数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか――『丹波哲郎 見事な生涯』より連載形式で一部をご紹介。 前編記事<約3億円のギャラで出演! 丹波哲郎の豪快エピソードから見る『007は二度死ぬ』裏話> ---------- 丹波哲郎の豪快エピソードから見る『007は二度死ぬ』裏話
国辱映画
『007は二度死ぬ』撮影現場の周辺には険悪な雰囲気が漂っていた。 ホテルで食事をすませたコネリーが、玄関のショーケースをのぞいていたら、いきなり日本人カメラマンが4、5人飛び出してきて、シャッターを切りはじめた。止めに入ったイギリス人宣伝部員が、「ガッデム!」思わず怒鳴ると、「『ガッデム』とはなんだ、侮辱するな!」と日本側も激昂した。コネリーがロケ現場のトイレに腰をおろしているところを撮影するカメラマンまで現れ、陽気なコネリーも色をなした。 取材攻勢をかける日本のマスコミと、プライバシーを重視するイギリス側とは、ことあるごとに衝突した。丹波も、スパイ映画とはいえ、過敏なくらい情報漏れを警戒するイギリス制作陣に、げんなりしていた。 「バカじゃないかと思うくらい、この映画は秘密主義だよ。もっとも、これは芸術なんていうものじゃなくて、ビックリ箱が、どんなしかけになってるかというような興味だけなんだからむりもないがね。関係者は内容をしゃべることは口止めされてるようだが、オレはなんでもしゃべっちゃうよ」(『週刊平凡』1966年8月11日号) 丹波のマイペースぶりは、『007』でも変わらなかった。 九州ロケの最中、山頂近くで豪雨に遭い、全員が滞在先のホテルに大急ぎで帰るときも、丹波だけは荷物運搬用の馬にまたがり、のんびりと山道を下っていく。結果的に、徒歩で山を降りた俳優・スタッフの一行より30分も遅れて到着するはめになり、馬上でずぶ濡れの丹波を見て、イギリス人たちは、「ドン・キホーテ、ドン・キホーテ!」と大笑いした。