高校公民科の新科目「公共」、先生たちはどんな授業をすればよい?
◇一緒に新聞を読み話しあうだけでも授業は成り立つ たしかに、アクティブ・ラーニングはある程度の時間が必要ですし、教員の長時間労働が社会問題となっている現状では、「先生の負担をこれ以上増やすわけにはいかない」という意見が出るのは当然でしょう。 しかし反対に考えると、先生が全てを教えようとするから「時間が足りない」状態になっているのではないのでしょうか。探究学習では生徒たちは、自分たちで調べることによって理解を深めていきます。このように「自分で調べて理解する」メソッドの方が力がつくはずです。ですから、先生がすべて説明したり、すべての授業をコントロールする必要なないと考えています。 生徒が「自ら学ぶ」姿勢を持ってくれるならば、今後の課題は、生徒が興味関心を持つ「問い」を立て、うまく導いていく授業メソッドを開発していくことだと思います。しかし、現実的にはそれが難しいのです。 私の持論ですが、教育は経験則に左右されていると考えています。自分が生徒として受けた授業や、公開授業などで実際に見た授業ならば再現しやすいのですが、学習指導要領や教科書のようなテキストだけで「このような授業を実践しなさい」と言われても、なかなか具体的なイメージは湧きません。 もともと、教育は先輩教員からいろいろな経験則を伝承されて行われるものでした。しかし現在、団塊の世代が一気に抜けて、比較的若い先生たちの比率が高まっているため、教育現場では、(新旧の学習指導要領に限らず)授業実践のノウハウを伝えられる人が少なくなっています。さらに、以前は盛んに行われていた教員の研究会や授業見学の機会が、現在の「働き方改革」で減っているのです。 先生にとって授業は「命」ですから、その授業研究がおろそかになるようでは本末転倒です。しかし、現実としてはそうなりつつあるのです。 「教員に時間がない」という批判に対して、私から言えることは、やはり「時間はどうにかしてつくるしかない」ということにつきます。ですから、先ほどお話ししたように「先生が授業をする」のではなく、もっと生徒たちに任せてみるのも一つの手ではないでしょうか。 私の経験上、大人が想像している以上に高校生は「コンビニの商品が値上げされているのに、お小遣いやバイト代が上がらないのはなぜ?」といった、日常生活の中で「あれ?」という疑問を持っています。 そのため、私は現職時代に教室へ新聞を持ち込んで、社会的に話題になっているニュースを授業のテーマにしていました。「なぜこの事件が大きく取り上げられているのだろう?」という「問い」に対しても、生徒は一生懸命調べたり考えたりして答えようとしますし、そこには議論が生まれます。このように生徒の社会的関心や興味・関心を引き出すことができれば、新聞を教材にするだけで十分に授業は成立するのです。 これからの若い先生たちには、今まで自分が受けてきた座学中心の授業に縛られることなく、生徒の興味関心を最大限に高めるような授業づくりにチャレンジしてほしいと思います。 冒頭、「公共」で高等学校の授業が大きく変わると述べました。それは単に学習指導要領が改められ、新しい科目ができたからではありません。生徒に考える力を身に付けさせるには、やはり先生たちも授業を工夫して変えていくことが必要になるのだと私は思います。
藤井 剛(明治大学 文学部 特任教授)