英語だけを学ばせてもバイリンガルにはなれない 早期英語教育のあり方とは
グローバル化でますます関心が高くなる子どもの早期英語教育。もう十数年以上前から、是非についての議論がなされています。「小さい頃から英語を学べは、苦労せずにバイリンガルになれる」という幻想はなくならず、子どもの習い事ランキングでは「英語・英会話」が常に上位に入っています。さらに小学校からの英語教科化が決まり、「英語熱」に拍車がかかっています。 この連載では、すでに議論し尽された「子どもの早期英語教育は要か不要か」を説くことから、一歩前進した「真の国際人を育てる、これからの英語教育」について、20年以上バイリンガル教育に携わってきた、東京コミュニティスクールの市川力さんが解説します。
グローバル化の対応に必ず出てくる「英語教育は小学校から」という議論
リオ五輪での日本選手の活躍はめざましいものがあった。五輪という国際舞台で戦うのは、選ばれ、鍛え抜かれたエリートアスリートである。大多数の日本国民は、その活躍を見て「スゴいね~、日本やったね~」と喜んでいればよい。メダルを獲れているのに「金でない……」と悔し涙するぐらい極限まで追いこまれたアスリートの姿を「一般人」は「他人事」として眺めていればよい。 ところが、私たち一般人も、世界に通用する人材になる、グローバル化に乗り遅れない、という圧力に急かされているという意味で、オリンピック選手のおかれた「立場」と似たプレッシャーをわが身に受けていると言えよう。 オリンピック選手ならば、筋力・瞬発力・動態視力などの「身体能力」がベースだ。では、私たち「一般人」がグローバル化するために必要なベースとなる能力といえば、真っ先にあげられるのが「英語力」だ。 1990年代末、21世紀を目前に控え、グローバル化の進展にどう対処するかという議論が沸騰した。当時の小渕内閣は「21世紀日本の構想懇談会」を設置し、その分科会では「英語公用語論」について議論された。当時、朝日新聞のコラムニストとして活躍していた船橋洋一氏の『あえて英語公用語論』(文春文庫)が話題を呼び、日本人全員が英語を身につける必要があるという機運が高まった。この流れと軌を一にして、小学校から英語を教科として教えるべきだという議論が巻き起こった。