冨永愛 時代劇に出たいと公言し続けていたら「吉宗」役に大抜擢。「準備をしながら夢を口にする。誰かに届け、と祈りながら」
◆夢をかなえてくれるのは、神様ではなく人間だから ずっとずっと、時代劇に出演したかった。夢、と言ってもいい。 きっかけは、小学生のときに家族で行った会津旅行。 白虎隊の少年たちの痛ましい死を知り、歴史の中に埋もれていった多くの人の涙があることを知った。 でも、本格的に自国の歴史を知りたいと思ったのは、モデルになって海外で仕事をするようになってからだった。 出会うモデルたちは自分の国の歴史や文化に誇りをもっていて、家族のことを話すように、歴史上の人物を語る。なのに私は日本のことを何も知らない。 勉強しなくちゃと思い、まずはとっつきやすい時代小説や歴史小説を読むようになった。そして徐々に時代劇へのあこがれは募っていった。 時代劇に出るなら、馬には乗れたほうがいい。剣も使えたほうがいい。 そう考えて、個人的に馬術や殺陣(たて)を習うようになった。なんのオファーもないのに、だ。 でも、声がかかってからじゃ間に合わないから。 ……こうやって書いてみると、我ながらけっこうな妄想力だと思う。でもそれがよかったのだ。 ちなみに、殺陣を習ったのは侍の役で出演する可能性もあると思ったから。 この身長では、お姫様や町娘はなさそうだな、という自己認識。 でもまさか、将軍をやるとはね(笑)。
◆代表作に巡り合えた始まり 私は夢を口にすることにしている。 言葉には魂があるから、やりたいことは必ず口にする。 夢をかなえてくれるのは、神様ではなく人間だから、ちゃんと口にしなくては誰の耳にも届かない。 『大奥』からのオファーのきっかけも、私がテレビのトーク番組で「時代劇に出たい」と言ったからだった。 それをたまたま『大奥』の脚本家の方が観てくださっていて、冨永愛に吉宗をやらせてみようとひらめいたと聞いた。 「夢を口にして、かなわなかったら恥ずかしい」と思うかもしれない。 でも私は、恥ずかしいからこそ準備をする。殺陣も馬術も着付けも習う。 準備をしながら、夢を口にする。誰かに届け、と祈りながら。 演技はまだまだ未熟だから、せめて立ち姿だけでも将軍らしくありたいと思って、撮影期間は家の中でも和服で過ごした。 衣装に合わせてその世界を表現するのは、私の得意分野だ。 将軍の打掛を着て「御鈴(おすず)廊下」を歩いたとき、ここは私のランウェイだなぁと思った。 撮影の途中、ベテランの結い方さん(時代劇のヘアメイクをしてくださるスタッフ)に「こんなにうまく馬を乗りこなせる女優さんを久々に見ました」と言っていただいた。 うれしかった。ここまでの準備は無駄ではなかったと、改めて思った。 とても難しい役だったけれど、共演した俳優のみなさんや監督をはじめとするスタッフの方々のおかげでなんとかやりとげることができた。 SNSでも原作ファンに「冨永愛は吉宗にぴったり」と言ってもらえたのはうれしかったし、ほっとひと安心できた。 おかげさまでいろいろな機会に評価をいただいた。 代表作と言える役に巡り合えたその始まりは、夢を口にしたから。そしてその準備をしてきたから。 それがなかったら運も巡ってこなかったと、私は思う。 ※本稿は、『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。
冨永愛
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