現役引退を決断した慶大・清原正吾はなぜ小学校で野球をやめ、大学で再び野球に戻ってきたのか
慶大・清原正吾内野手(4年=慶応)が野球をやめる決断をしたことが24日、分かった。 【写真】亜希、長男の清原正吾とクールな2ショット プロ通算525本塁打の清原和博氏(57)の長男として注目を浴びた。小学校で野球を始めたが、中学で離れた。 「父親の事件もあって。元プロ野球選手っていう大スターの息子、長男っていうところで重圧とプレッシャーがあって、少し目を背けなくなったっていうところと、その当時は父親がまず嫌いになったっていうところから、まず野球の道から外れて」 友人に紹介され、中学ではバレーボールを始めた。中3になるとフラッグフットボールも始め、そこで「日本一になったんですよ」。興味が強まって、慶応高ではアメリカンフットボール部に入った。 高校では同時にコロナ禍にも見舞われた。「部員にもコロナ罹患(りかん)者が出て、一度活動停止を余儀なくされた時に、家にいる時間が増えて。中学生の弟が高校で甲子園を目指すにあたって、僕は手伝いから始めて、それがいつの間にか一緒に練習するようになって」。 執行猶予が明けた父と初めてキャッチボールした時に「ごめんな」と言われた。「いま僕がやって、両親が一番喜ぶことはなんだろうなって思って。父親も事件の後から社会復帰しだして、いろいろ頑張っていたので、僕もお父さんの生きる活力になれたらと思いました。野球っていうツールがバラバラの家族を戻してくれました」。いつかホームランボールを届けて泣かせるため「素人同然でした」という状況から猛練習し、慶大の4番打者にまで上り詰めた。 ずっと野球をしていなくても、大学野球で活躍できる。米国などでは一般的な「マルチスポーツ」の概念を、身をもって日本にも広めたいと夢見ていた。 だからこそ、高卒での渡米を選んだ佐々木麟太郎選手(スタンフォード大)には強いシンパシーを抱いていた。 「ほんっっとに素晴らしい選択だなと思います。僕、ニュース見た時に『うわっ、これは今までにない、いいチョイスしたな』って思って。僕も体育会の人生だったからこそ海外の世界は見てないわけで、そこで彼は海外の道を選んだっていうのは、ものすごい覚悟があっただろうと思う」 続けた。 「僕も変な話、他の人たちとはちょっと、いや、全然違う経歴を持って今野球をやってて。今の時代、多様性、ダイバーシティってところで。それぞれの人生なんで、人それぞれの色があっていいと思いますし、そこで縛ることは必要ないのかなって思います」 清原の活躍は野球界の大きな話題にもなり、神宮でホームランを打った時には大観衆がネット裏で見守る父にスタンディングオベーションをするような、そんな事象も生み出した。 大学4年生で進路に直面すれば「あなたはどんな人ですか?」「あなたはなぜそれをしたいのですか?」に誰もが直面する。清原正吾は決断と行動、実績だけで、それを見事に表現してみせた。【金子真仁】