【東スポ競馬で振り返る昭和の競馬史】名馬メイズイの〝行く末〟を取り上げたスポーツ報道の原点/昭和40年=1965年
東スポ創刊から5年。昭和は40年代に入った。中央競馬はメイズイ、シンザンらスターホースの連続出現で大きく底上げされ、東スポ競馬面にも多様な企画が躍るようになった。年初=1月1日付の紙面では「ことしの抱負を語る」と題して年男・古山良司騎手を取り上げていた。 のちに、怪物と言われたタケシバオーの主戦となるダービージョッキーで、この時点でも500勝を超える勝利を挙げている第一人者だった。土浦の予科練で戦闘機に乗っていて出撃寸前だったことや、学生時代からマラソンが得意だったこと、大酒豪だったが酒量を落として節制していることなど、興味深いエピソードが掲載されていた。 ここまでの5年間、関係者の人物像を扱った記事はほとんど見られなかっただけに、スポーツ紙として画期的な前進と言えそうだ。 また、この年の1月5日には2冠馬メイズイが現役最終戦(中山芝2000メートルのオープン)を走って辛勝ながら有終の美を飾った(15勝目)。東スポ競馬面はレース後、このアイドルホースのキャリアを振り返る特集記事を載せていたが、この中身が少々複雑だった。現代なら引退式代わりの勝利で大団円という結果だが、当時は大物牡馬は競馬会が買い上げて種牡馬として活動するというのが一般的なルート。メイズイの場合この時点で買い上げの確約が出されていなかったので「NGの場合は現役続行か」という不穏な要素込みで展開されていた。 結局メイズイは無事種牡馬になったのだが、栄光の戦績と定まらない行く末をミックスさせた内容は、今なかなか読みごたえがあった。 前記の人物もの同様、周辺を掘り下げた取材で求心力を追求する、スポーツ報道の原点と言えるスタンスが定着した象徴的な記事と言えるのではないか。
東スポ競馬編集部