エベレスト世界初登頂から60年、なぜ登山家はこの山に魅せられるのか
スポーツというより芸術に近い
標高8000メートル以上は、デスゾーンと言われ、酸素濃度が3分の1となる。常につきまとう雪崩の恐怖、高山病…。酸素ボンベの残量などからも制限されるアタックの時間。また、三浦さんが、下山にヘリを使ったことに対して議論が起きているが、例え登頂に成功しても、それ以上に下山が危険とされるのがエベレストである。 それでも彼、彼女らは、なぜエベレストを目指したのか。植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」(文春文庫)には、こう書かれてある。 「私の単独登山にしても、やはりひとつの登山の形態として未知なものへの探求と可能性への挑戦、さらに大きくいうなら、人間の可能性への挑戦ではなかろうかと思っている。山登りは、たとえ、どんな山であろうと、自分で計画し準備し自分の足で登山する。その過程が苦しければ苦しいだけ、それを克服して登りきった喜びは大きい」。 エベレスト初の無酸素単独頂を成し遂げたラインホルト・メスナーはスポーツライター、故・佐瀬稔のインタビューに、こう答えている。 「アルピニズムは、スポーツというよりも芸術に近い。登山史上でもっとも偉大な人は、たくさん登頂したとか、誰よりも早く昇ったとかいうことではなく、人間としていかに自分を表現したかにかかっていると思います」。 自己表現を突き詰めれば、自己への限界、可能性への挑戦となる。それこそが危険冒しても成し遂げたい、己のアイデンティティの確認作業なのかもしれない。
初心者でもエベレストに導いてもらえる時代に
1970年代に、いわゆる未踏峰は、ほとんどと言っていいほどなくなり、既登の山をより困難なルート、季節に挑むバリエーションルートの時代になった。そこから、さらに過酷な無酸素、単独登頂の時代が始まり、1990年代初頭になると、初と名の付く登山の未知のゾーンも少なくなった。そういうストイックなアルピニズムの一方で、防寒や酸素供給の装備や、天候などの情報集収技術が飛躍的に発展した現在では、商業的公募登山が盛んとなり、お金を払えば初心者でも最低限の訓練とガイドをつけてエベレストに導いてもらえる時代になった。 最盛期の5月には、頂上の一歩手前に控える12mの岩壁、ヒラリーステップの前に、時には2時間待ちにもなる行列ができる。その混雑した写真が公開されて問題にもなった。そのクラシックルートと呼ばれる登攀(とうはん)ルートには、捨て去られたゴミが蓄積して問題となり、アルピニストの野口健さんは、これまで何度か、その清掃登山も行なっている。 遭難など死亡事故につながる事故も少なくなく、エベレストは、ずっと変わっていないが(野口さん曰く地球温暖化の影響は出ているそうだが)、この60年で、世界最高峰の山を取り巻く環境は大きく変わった。 田部井さんが、エベレストに登頂した時が35歳。52歳で世界7大陸の最高峰の登頂を果たし、70歳を超えた、今もなお、登山を楽しまれている。例年のように海外にも遠征されて、またエベレスト挑戦とは違った山を満喫されている。 「50歳を過ぎ、頂上を目指さなくとも『自然の森の中にいるだけで良かったなあ、ここを歩けるだけで楽しいね』と素直に感じるようになりました。まなじりを決してエベレストの頂上を目指さなくとも山麓歩きでも十分に楽しいんです。雪が降る。酸素もない。そんな中、何も頂上にタッチしにいかなくてもいいよねという思いが今はあります」。 それが今の登山家、田部井さんのアイデンティティなのかもしれない。自己表現の仕方に変化はあっても、その意志だけは、時代が移り変わっても変わらない。 エベレスト初登頂から60年(ジョージ・マロリーが、それより29年前に登頂を果たした後に遭難死したとも伝えられるが、ミステリーのまま。近年、発見された死体の近くには、証拠を撮影したと言われるカメラの残骸が残っていなかった)。多くの登山家が、また高い山の頂を目指している。