旧優生保護法のもと行われた「不妊手術」に明日最終判断「どんな判決でもこの苦しみは一生忘れられない」
7月3日。司法の最終判断が下される、注目の裁判。 問われているのは、障害のある人たちの人権です。 ■【動画で見る】知らぬ間に不妊手術「障害者は子を産んではいけない」法律のもと行われた「強制不妊手術」子供を産む権利を奪された夫婦の闘いに最終判決 【野村花子さん(仮名・70代)】「私がこの不妊手術をされてしまったことは非常に残念で悲しくて今でも悔しいです」 法律のもと行われた「強制不妊手術」その救済は、訴えるのが遅すぎるという理由でなかったことにできるのか。 【野村花子さん(仮名・70代)】「どんな判決が出たとしても、この苦しみは一生忘れられないと思います」 「子どもがほしい」と願ってきた夫婦が苦しんできた50年。 ようやく、戦いに終止符が打たれます。
■40年以上も知らなかった「不妊手術」の事実
大阪府に住む野村さん(仮名)夫妻は、2人とも耳が聞こえません。 50年以上、2人きりで暮らしてきました。 【野村太朗さん(仮名・80代)】「妻は今も子どもがほしかった、ほしかったっていうんですよね」 【野村花子さん(仮名・70代)】「私がこの不妊手術をされてしまったことは非常に残念で、悲しくて、今でも悔しいです」 2人は1970年に結婚。 待望の第一子を妊娠しましたが、妊娠9カ月の時、医師から「赤ちゃんに異常がある」と言われ、急遽帝王切開で出産。子どもは翌日に亡くなりました。 さらに、花子さんは帝王切開と同時に不妊手術をされていたのです。2人はその事実を知らされていませんでした。 【野村太朗さん(仮名・80代)】「しばらくたってから『赤ちゃんができない』ということだけを聞いて、亡くなったから2人目が生まれないという意味で言っているのか、なんでなのか分からなかった。だいぶたってから不妊手術をしたということだと分かった」 【野村花子さん(仮名・70代)】「不妊手術しないでそのままの体でいさせてくれたら2人目も授かったかもしれないのにと思うと、怒りの気持ちが収まりせんでした。私は不妊手術をされたことを今でも悔しく思っているんです。なぜ不妊手術を私が受けなくてはならなかったのか」 「旧優生保護法」。1996年まで存在した、“戦後最大の人権侵害”と呼ばれる法律です。 この法律の下、不妊手術をされたのは、分かっているだけで2万5000人にも上るとみられます。 手術を受けたことを2人が知ったのは2018年。他の被害者が訴えを起こしたことがきっかけでした。その時にはすでに、手術から40年以上が過ぎていました。