被爆80年 核なき世界へ「勝負の年」 次世代に“遺言”を、対話の拠点に 長崎
被爆地長崎に「勝負の1年」が巡ってきた。戦時下の1945年8月、米国が広島と長崎に原爆を投下して今年で80年。その記憶と心身の傷を抱える被爆者たちは年老い減っているが、核兵器廃絶は実現していない。一方、廃絶を訴え続ける被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(被団協)は昨年末、ノーベル平和賞を受賞。活動と思いを継ごうと動く次世代もいる。核廃絶・軍縮を巡る国際会議も相次いで開かれ、注目が集まる被爆・戦後80年。「核なき世界」へのステップとなるだろうか。 昨年の暮れ、長崎市の爆心地。ノルウェーで平和賞授賞式に臨んだ被爆者、田中重光さん(84)=被団協代表委員=の姿があった。受賞を報告したい人たちがいた。原爆がさく裂した瞬間に命を奪われた人。生き残っても苦痛を強いられ、核廃絶の途上で亡くなった先輩被爆者-。多くの魂が眠る場所で、誓った。 「対立でなく協調。軍拡ではなく軍縮。私たちは草の根運動を広げていく」 今年、長崎の被爆者団体は被爆証言や活動史の「発信」に重きを置く。視線の先は世界や次世代だ。「長崎原爆被災者協議会」は昨年始めた英語での証言映像制作・配信などのプロジェクトを加速。「県被爆者手帳友の会」は収蔵資料のデジタル化や外国語発信を進める。「県平和運動センター被爆連」も証言や提言、組織の歩みを記念誌にまとめる予定。「次世代への“遺言”として過去を生かし戦争のない時代をどうつくるかを伝えたい」 ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃などで世界の分断は深まった。対立する米ロや同盟国が安全保障を核に頼る「核抑止論」はむしろ強まっている。 だが対話のチャンスは幾度もある。今春は米国で核兵器禁止条約第3回締約国会議があり、これまで参加していない被爆国・日本の関与が問われる。核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第3回準備委員会も開催。長崎市では夏から秋にかけて、国内外の都市でつくる「平和首長会議」の総会や、「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)の世界大会も開かれる。 長崎大核兵器廃絶研究センターの吉田文彦センター長は、こうした機会を生かし「(核使用を道徳的に許さない)『核のタブー』の維持・強化を全面的に発信することが大事」と指摘。その上で「発信と同時に、被爆地が核問題について交流、意見交換する『対話の拠点』になるよう努力を」と提言する。