「月光仮面」好評の戦闘シーン誕生秘話 大瀬康一が語る、七転八倒の撮影現場
おそらくそのまま映画界にいたら華々しく羽ばたくことはなかったかもしれない、撮影所で下働きしていた若者たちが、未知なる「月光仮面」というプロジェクトに呼び寄せられ、一本立ち経験もないままにプロデューサーとなり、監督となり、そして主演スタアになった。 東映大泉撮影所の大部屋俳優だった大瀬康一も、もし撮影所を飛び出してテレビに進まなければ、その後凋落の一途をたどる映画業界でくすぶり続けるだけだったかもしれない。当時のテレビは安づくりの「電気紙芝居」と蔑視されていたので、スタッフもキャストもテレビ仕事は敬遠していた時代だったので、彼らの選択はまさに賭けだったわけだが、その若き情熱にまかせたアクションは信じがたい反響によって報われることとなった。 ここで間もなく81歳とは思えない溌剌とした大瀬康一さんの話を伺ってみたい。 ※「【連載】「月光仮面」誕生60年 ベンチャーが生んだヒーロー」第6回(全10回)。連載第6回~9回では、映画評論家・映画監督:樋口尚文さんによる俳優・大瀬康一さんのインタビューをお届けします。
ワンカット28秒の手巻き16ミリカメラが起こした奇跡
―― 大瀬さんは大部屋とはいえ東映撮影所の劇場用映画の現場を何度も経験しておられたのですから、「月光仮面」の機材にも人材にも事欠く現場に行かれてびっくりされたのではないですか。 なにがなんだか訳がわからない忙しい現場でどんどんやっていく感じでした。しかも初めは手巻きの16ミリカメラしかなくて、ワンカットが28秒しか撮れないという、もう本当におもちゃみたいなものでした。監督の船床さんの部屋に泊めてもらったりすると、俺が寝ている横で監督がカット割りしてるんです。それがもう手巻きカメラでは長回しできないから、シーンを凄く短いカットで割ることになる(笑)。そのおかげで否応なく全体の流れにテンポが出るわけですよ(笑)。カメラが長回しできたら、監督だってもうちょっと長いワンカットで撮ってみようかな、とか色気が出て来ると思うんですが、なんたって撮れないんだもの(笑) ―― まさかあのキビキビしたテンポが機材の限界から生まれたものとは爆笑ですが、徐々に機材は改善されたのですか。 人気が出てからもうちょっと大きいニュースカメラのようなものに変わって、ズームも使えるようになりました。そもそも船床監督はひじょうに細かく繊細な人なんですが、これだけ機材もないし時間的余裕もないと、とにかく知恵をつかってどんどん進めるしかなかった。監督もキャストも、いつも四五冊シナリオを携帯していて、「今日はこの三冊めのここのカット」みたいな撮影でしたね。役者はつながりとか芝居の巧い下手とか、そんなことは気にしていられない状況で、すべては船床監督の頭のなかにあって、われわれはもう監督の言いなりですよ。そんな作品を観て、「あいつの芝居がなってない」とか状況も知らずに後ろ向きなことばかり言う評論家が一人いましたね。