「反論してくる若手」に高圧的に接しても、上司の権威は取り戻せない
ていねいに理由を紐解く必要性
これとほぼ同じことが多くの企業の現場でも起きています。 30年ほど前までは上司の言葉は尊敬を払うべき対象として機能していました。それに背くことは会社に背くことであり、終身雇用、年功序列制度の中で競争のトラックから外れることを意味していました。 しかし今の若い人にとっては、上司の言葉はそこまでの重みを持っていません。自分の意にそぐわないことであれば、いとも簡単に反対意見を唱えます。そこで上司は「鬼」か「仏」かという議論が沸き起こるわけです。 つまり、言うことを聞かない社員には徹底的に厳しく、「鬼」となって臨むべきだ。いや、そうではない。叱るのではなく、「仏」のような心を持ってとにかく相手の意見を尊重すべきだ、と。 ところがそうシンプルに割り切ってうまくいくのかというと、そんなことはないものです。「鬼」になれば、それなら他に行くよと、部下は会社を離れてしまうし、「仏」になればなったで、部下は社会人としての常識を逸脱したような行動を取ってしまいます。一体どっちなんだと管理職は混迷を深めてしまうわけです。 では、どうしたら良いのでしょうか。もちろん、若い人も人間である以上、基本的には私たちと同じ「原理」で生きていると思います。 周囲から存在が認められなければ、内側はざわつくでしょうし、そのざわつきを解消してくれる人のほうに顔が向くのは間違いありません。単にほめるというだけではなく、日々の関わりの中で、どれだけ相手にマッチングした積極的なアクノレッジができるかは、やはり大事でしょう。 そして、若い人をアクノレッジする際に、中でも特に大事なのが「理由」という情報を伝えてあげることです。 昔であれば、上司がいえば理由なく部下が従っていたような事柄に対しても、きちんと説明を加える必要があります。オフィスであいさつするのはなぜ大事なのか。清潔感のある髪型で出勤することがなぜ大事なのか。机を整理するのはなぜ大事なのか。上司とアフター5に語らいあうことがなぜ大事なのか。一つひとつに説明を加えます。 ポジションパワーを使って「やれ!」ではなく、相手のためにわざわざ時間を使って、ていねいに理由を紐解いてあげるのです。「やれ!」には個の尊重がありませんが、「理由の説明」にはそれがあります。だからアクノレッジメントとして機能します。 慶應大学ラグビー部の上田元監督にしても、早稲田大学ラグビー部の清宮元監督にしても、最近の若い人相手に効果的な指導ができている人は、きちんと説明をしています。この練習はこのためにあって、このルールはこのためにあるということを説明するために決して時間を惜しまないのです。 学校も、もし一つひとつの決めごとに対して先生が労を惜しまず説明をしていれば、もう少し状況は変わるのかもしれません。
鈴木義幸([株]コーチ・エィ代表取締役 社長執行役員)