28歳で逝った阪神・横田慎太郎 脳腫瘍の手術後に視力を失うも「俺、やっぱり野球やる。この目標からは、絶対に逃げないことにした」
2023年、18年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした阪神タイガース。そのタイガースに14年から19年まで在籍していた横田慎太郎さんは、21歳で脳腫瘍と診断され、23年7月に28歳という若さで亡くなりました。「息子はなんと多くの方から応援され、愛されていたのだろうか」と話すのは慎太郎さんの母・まなみさんです。今回、作家で演出家である中井由梨子さんが、ご本人たちからうかがったエピソードを元に、まなみさんに替わって綴ったノンフィクションストーリーをご紹介します。 【写真】満面の笑みをみせる横田さん * * * * * * * ◆暗いまま 脳腫瘍の手術から約2か月という長い間、慎太郎の視界は暗いままでした。 先生や看護師さんから「時間が経てば見える」と言われ続けていましたが、息子はこの閉ざされた暗闇を彷徨っている間、とても無口で、何を考えているのかまったく分かりませんでした。 食事もトイレに行くのも私が手を貸しました。おそらくそれも最初は嫌だったのでしょう。しかし見えなければそれすら一人ではできません。 このままでは体より先に彼の精神が参ってしまう、と思った私は、風や匂い、音など、より強く感じることができるように、慎太郎を車椅子に乗せて病院内の庭や、展望台にも連れて行きました。 そして歩きながら、「すぐ見えるようになるからね、大丈夫よ」と呪文のように繰り返していました。 そうやって自分を奮い立たせるだけでなく、「見えるようになる」と言霊を使って現実を引き寄せようとすら思っていました。 最初の頃はどこへ連れて行っても慎太郎の表情はこわばったままでしたが、庭で穏やかな風に吹かれるのは好きなようでした。 じっと気持ちよさそうに目を閉じているので、「ここの風は甲子園からの風だもんね」と言いますと、「さすがにそれはないでしょ」とあっさり言い返されてしまいました。
◆不安と恐怖 術後1か月は傷口がまだ完全にはふさがっておらず、寝ている間に慎太郎が傷口を掻(か)いたりしないように、寝る時は互いの手首を輪ゴムで繋ぎ、鈴をつけました。慎太郎が手を動かしたら、起きて手を傷口から離すためです。最初の頃はしょっちゅう鈴が鳴り、私はまるで夜泣きの赤ちゃんを抱える母親のように、毎晩睡眠不足に陥りました。 しかし傷口から雑菌が入ってしまうとまた手術せねばならないと聞いていたので、もう二度とあんな大変な思いはさせまいと必死でした。 慎太郎がナーバスな状態であることを、球団の方もよく承知していましたので、この期間はお見舞いを遠慮くださっていました。 私のほうには「様子はどうですか」と連絡が入りますし、病院からも随時報告が上がっていたとは思いますが、何も知らされていなかった慎太郎は、球団の人が誰も来なくなったことにひどく不安を覚えているようでした。 「契約、切られるかな」 ある時、ベッドの上でそう呟きました。 「まさか! 治療だってこんなにバックアップしてくださってるじゃないの」 「でも、最近誰も来なくなったし……目が見えなくなってから」 「それは……」 言いかけてハッとしました。このまま本当に目が見えなければ……契約は確実に打ち切りでしょう。もしそうなったら、慎太郎はいったいどうなってしまうのでしょう。 「大丈夫よ」 そう口では言いましたが、不安も致し方ない、と思いました。もう1か月以上も見えない日が続き、最初はあった希望も日に日に削られ、息子の中では「ずっとこのままかもしれない」という不安と恐怖が確信めいたものになってきているようでした。 一方、シーズンが開幕してもいっこうに姿を見せない慎太郎について、阪神ファンの間で様々な憶測や心配の声が持ち上がっていました。 依然として球団は情報を外に出さなかったので、SNS上では、精神的な病ではないか、もう引退するんじゃないか、とまで騒がれるようになっていたのです。それと同時に、慎太郎を心配する多くのファンの方々からお見舞いの品やお手紙が毎日のように虎風荘に届くようになりました。
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