かつて「白い街」を築いた先駆者・名古屋はなぜ行き詰ったのか? 土地区画整理事業の現在
土地区画整理事業の限界
しかし、やがてこうした手法の限界も見えてきました。 特に、高度経済成長に伴って上下水道やガスなどのインフラは「しっかりしたものを」と求められる一方、「緑もほしい」と公園用地などの必要面積も増えていきます。そのために「減歩率」を増大させると、組合員から反発が起こって計画をまとめきれなくなります。インフラ整備の負担も大きくなると、民間の土地区画整理組合の資金繰りは悪化。そこで自治体は数々の補助金制度の創設や、国庫補助をすすめて組合を財政的に支援しました。しかし、バブルの崩壊によって地価が下落すると、見込んでいた保留地は売れなくなり、さらに組合や自治体の財政が悪化していきます。 2000年前後から収入不足が表面化する組合が表れ、岩手や新潟で破産処理をする例も出てきました。国土交通省の全国調査によれば、収入不足に陥った土地区画整理組合の数は2001年に133組合、収入不足の見込み額の合計は1800億円余り。その後、各地で経営改善が進んで収支不足の組合数は減り、収入不足額も全体に減少傾向にはなります。 ところが、ここ数年はまた状況が思わしくありません。2017年度は11組合が約509億円の収入不足の見込み。1組合当たりの平均は約46億円で、それまでせいぜい十数億円だった平均額を大きく上回りました。国交省市街地整備課は、特定の組合名は出せないとしつつ「不足額の大きな組合が全体の数字を引き上げている」といいます。
混迷を深める名古屋の土地区画整理事業
昨年、名古屋では守山区・中志段味(なかしだみ)地区の土地区画整理組合の借入金が100億円以上まで膨らみ、今後さらに300億円の資金不足に陥る見込みであると発覚しました。 この事業は本来、市が主体となるべき「特定」土地区画整理事業。大学や企業を誘致する「サイエンスパーク」構想に基づき、市が土地区画整理を進めるため組合設立を後押ししましたが、地元では反対の動きもありました。それを押し切る形で組合が発足したのは、バブル崩壊後の1995年。大学誘致は失敗し、当初の構想は事実上、頓挫します。 区画整理は粛々と進められたものの、23年が経っても事業の進捗率は事業費ベースで40%。道路や上下水道などのインフラ整備も周辺地区に比べて極端に遅れており、保留地はまだ見込み額(約300億円)の0.6%しか売却されていません。商業施設の進出を見込んで周辺道路を整備した土地は、雑草だらけの空き地のままです。 一方で、市の委託を受けて現場の工事監理などの実務を担う「名古屋まちづくり公社」は事業を強引に推し進めようとして住民と衝突することも。代々、市の局長級OBが就任してきた公社理事長経験者の1人は、取材に「市が直接やりにくいことを、公社に現場でやらせる面もあった」と認めます。 事業の見直しや責任のありかをめぐって市議会でも議論が続いていますが、ある住民は「亡くなった父親から土地を相続したが、あまりにも条件が悪く、事業の先行きも分からず売るに売れない。組合に聞いても何も教えてくれない」と途方に暮れるばかり。 NPO法人「区画整理・再開発対策全国連絡会議」(東京都)の遠藤哲人事務局長は「そもそも中志段味の事業は民間の組合組織でできる規模ではなかった。裏では市や公社といった行政が手を回すのに、責任を負っていない。名古屋市は土地区画整理事業の先駆けであっただけに、やりたい放題でやって来た。その歴史と伝統にあぐらをかいてきたのではないか」と指摘。市の責任を明らかにした上で市や議会、組合、そして住民の協働による問題解決を促しています。 混迷を深めるこの土地区画整理事業に解決の糸口や着地点はあるのでしょうか。別稿で検証したいと思います。 (関口威人/Newdra)