2億円オーバーのメルセデス・ベンツ「300SL」最初の輸出先はフィリピンでした。世界をめぐった数奇なヒストリーとは
名車中の名車「メルセデス・ベンツ300SLガルウィング」
あらゆるクラシックスポーツカーの中でも、もっともアイコニックな一台であるメルセデス・ベンツ「300SL」は、ガルウィングドアを持つクーペ、ロードスターともども欧米のオークションでは常に高値を呼び起こす超人気モデルとして知られる。2023年11月4日、RMサザビーズ欧州本社が、その本拠地であるロンドンの市内にある古城「マールボロ・ハウス」で行った「LONDON 2023」オークションでは、とくに希少なオプションを完備したガルウィングが出品された。 【画像】魅力的なオプションを装備! メルセデス・ベンツ「300SL」を見る(全56枚)
時代のアイコンとなった、カリスマ的スーパースポーツとは?
メルセデス・ベンツ300SLは、単にメルセデスのみならず、古今東西の全スポーツカーにとってもアイコンとなるべき記念碑的モデル。その源流は1952年のル・マン24時間レースを制覇した、同名のレン・シュポルト(レーシングスポーツ)だった。 設計に当たったのは、第2次大戦前からメルセデスのGPマシンの開発に参画、戦後のモータースポーツ活動復帰に際しては、主導的な役割を果たした名エンジニア、ルドルフ・ウーレンハウトであった。 彼が戦前からあたためていた鋼管スペースフレームのアイデアを実現したのが「W194」の開発コードNo.で知られる300SLプロトタイプだった。 そして、ここでもう一人のキーマン、アメリカ東海岸で有力な輸入車代理店を経営していたドイツ系実業家マックス・ホフマンが登場することになる。 彼はポルシェ「356スピードスター」やBMW「503/507」、アルファ ロメオ「ジュリエッタ・スパイダー」の誕生も陰で支えた欧州製スポーツカーのフィクサー的存在。その慧眼が、300SLを市販スーパースポーツに発展させるという卓越したアイディアを、ダイムラー・ベンツ首脳陣にもたらしたのだ。 新たに「W198」の開発コードNo.が与えられた量産型300SLは、W194と同じくバードケージ状の本格的な鋼管スペースフレームで構成。サイドシルの高い位置にも構造材が入るため、クーペでは低いルーフと両立するための苦肉の策として、このモデルの代名詞となったガルウィング式ドアが採用されることになった。 パワーユニットは、同時代のメルセデス最高級モデル300(通称アデナウアー)に搭載された直6SOHC・2996ccユニットをベースにチューンを施したもの。量産ガソリン車としては世界初となる燃料噴射を装着し、215psという当時の3000cc級市販車としては素晴らしいパワーを発揮。4種類が選択できたファイナルギアのうち、最もハイギアードな減速比を選んだ車両では260km/hの最高速を実現していた。 かくして、1954年のニューヨークショーにて正式デビューを果たした生産型300SLは、純レーシングカー譲りの高度な設計思想をもち、50年代の常識を遥かに超越した高性能を誇る。何より軽飛行機のようなガルウィング式ドアを持つ流線型のボディが、当時のモータリストたちを魅了。1957年夏にロードスター化されるまでの総生産台数は1400台という、この種のスーパースポーツとしては異例のヒット作となった。 また、前期モデルに当たるガルウィング時代にはモータースポーツでも活躍し、特にS.モス/D.ジェンキンソン組のメルセデス300SLRが歴史的勝利を収めた1955年ミッレ・ミリアでは、300SLがGTクラスで完勝を収めた。 さらに、映画「死刑台のエレベーター(1958年公開)」でも圧倒的な存在感を見せるなど、当時のクリエーターたちを刺激した300SLは、時代の象徴としてのカリスマ性も身につけてゆくのだ。
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