「私1人暮らしできないタチなの」引退報道の五月みどり “熟女”ブーム時代に見せた“キュート”な姿
今年の大晦日、『伊東家の食卓』(日本テレビ系)がスペシャル番組として8年ぶりに復活する。 【現代の”熟女”といえばこの人......】すごい!藤原紀香の圧倒的”熟女”フェロモンがダダ漏れ ’97年に放送開始した同番組は、伊東四朗(86)の冠番組で、日々の生活に役立つ裏わざ情報を紹介する情報番組だ。最高視聴率28.8%を記録し、紹介された情報をまとめた書籍は大ベストセラーになるなど、“伝説のバラエティ番組”として、復活を求める声が少なくなかった。 「出演メンバーは『伊東家』の家族という設定で、お父さんはもちろん伊東、お母さんが五月みどり(84)、長女がRIKACO(57)、長女の夫が布施博(65)、長男が三宅健(44)、次女が山口美沙(39)という構成で、これは『サザエさん』を参考にしたと言われています」(民放バラエティ番組ディレクター) ただ、残念なのは、レギュラーだった五月は出演しないということだ。 『デイリー新潮』(’23年11月27日配信)によると、最近、五月が「認知症」や「施設に入っている」といった情報を流すメディアが現れたことで憶測情報が飛び交うことになったため、真相を問うべくマネージャーに取材。84歳と高齢ということもあり、実質引退状態だと語ったという。 ある老舗芸能事務所幹部は、人知れず舞台から去っていた五月に対し、感慨深げにこのように語った。 「20代は正統派歌手として活躍し、30代では女優やマルチタレントとして活躍。’80年代からは『熟女ブーム』に乗り、日活ロマンポルノ映画に出演したり、ヌード写真集なども出して、これも大ヒット。そして『伊藤家』ではバラエティタレントととして大活躍しました。昭和、平成の時代で世相に合わせて活躍し続けた、本当にマルチな才能に溢れた方です」 ’61年に『おひまなら来てね』が大ヒットした翌年、彼女は『NHK紅白歌合戦』(第13回)に初出場する。そして、その翌年(第14回)、翌々年(第15回)と3年連続で出場する人気歌手となったのだった。 第14回紅白で五月が歌った時の瞬間視聴率は、史上最高の85.3%という驚異的な数字を叩き出している。これは今でも破られていない。 「そんな超人気歌手だった五月ですが、人気絶頂の最中、’65年に結婚をすると一度芸能界を引退します。しかし7年後に離婚して芸能界復帰を果たすと、それからはタレント、女優とマルチな活躍で、再び人気を博すようになります。 その後は、’80年代初頭に巻き起こった“熟女ブーム”に乗り、写真集を出すなど『熟女ヌード』のさきがけとなりました。昭和の芸能界でシンボル的存在でした」(テレビ誌記者) ◆「私って1人で暮らすことができないタチなの」 かつて『FRIDAY』は、五月に直撃取材を行っている。’89年11月、彼女は当時50歳だった。熟女ブームの真っ只中で4度目の結婚が噂されていた。 相手は当時、五月の営業担当マネージャーだった20歳年下のA氏(当時30歳)で、この1年ほど前から同棲生活を送っていた。A氏を伴い、政治家のパーティーに現れた五月に声をかけると、 「そうねェ、(同棲を始めて)1年半くらいかしら。私って1人で暮らすことができないタチなの。そばにいてくれる人がいないとダメなんですよ」 と、あっけらかんと答えてくれた。マネージャーとタレントの交際は、タブーとされている点を指摘すると、 「彼と付き合い出したのは2年半前の離婚直後なの。さすがに事務所からは半年くらい友達でいなさい、と言われましたけど。ウフフ」 と、恥ずかしそうに笑った。その仕草のキュートさに、取材した記者も一瞬で彼女の魅力に引き込まれたという。 そして、還暦間近になって出演したバラエティー番組が『伊東家の食卓』(日本テレビ系)だった。 「その後、A氏は、五月の個人事務所の社長となり、以来、20年以上事実婚状態を続けていましたが、ここ数年は、別離したという噂もあります」(前出・老舗芸能事務所幹部) 彼女の元気な姿を拝見できないのは残念なことだが、彼女がテレビ界に残した功績に改めて感謝の言葉を述べたい。
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