交通事故で「意識不明の重体」から生還した28歳女性。障害を持っても“くじけない”理由
事故以降の人生は“アナザーストーリー”
――事故の前後で変わった価値観、あるいは気づくことができた気持ちなどについて伺えますでしょうか? 新井:周囲にいてくれる人の支えに改めて気づくことができました。ICUを出てからは、毎日同級生が代わる代わるお見舞いに来てくれて、友人と一緒にまた外で遊んだり他愛もない話をしたいという思いがリハビリを前向きにさせてくれたのは、間違いありません。 私は母子家庭で育ったのですが、母には女手一つで育ててきた娘のショッキングな姿を見せることになってしまいました。母は私の介護のために仕事を辞める選択をしました。深い愛情を感じるとともに、「必ず復帰して、幸せな姿を見せて安心させるんだ」と決意しました。 いつ死んでもおかしくないほどの傷を負った私は、事故以降の人生をある種の“アナザーストーリー”として捉えています。今、生かされているからこそ、自分の人生に意味があったと思えるよう、表現活動をしていきたいと考えているんです。
「身体障害4級、精神障害3級」という等級になって
――今、人生において何かに挑戦することを躊躇っている人も多いと思います。そうした人たちに、もし言葉を掛けることができるとしたら、どうなりますでしょうか? 新井:事故によって、私は身体障害4級、精神障害3級という等級になりました。芸能界はきらびやかで、障害を持った人が活躍する絵を普通はなかなか想像できないかもしれません。芸能界に限らず、あるいは心身に障害を負わずとも、何かに躊躇して諦めている人は多いでしょう。 ただ、私は絶対にくじけません。表現活動を通して、くじけない姿を発信していきたいと思っています。そして、私が自ら一歩踏み出して、「一緒に頑張ってみませんか?」と語りかけられるような、そんな存在になりたいと思っているんです。 ――障害者という言葉がでてきましたが、今、見た目ではわりにくい障害を持つ人も大勢いらっしゃると思います。健常者から障害を持つに至ったお立場から、世の中をどうご覧になっていますか? 新井:私もたまに「本当に障害があるの?」と言われることもあり、そのたびに理解されない寂しさを感じることがあります。けれども、世の中全体としては、SNSの普及などもあって見た目でわからない障害を理解する方向へは傾いているように思います。 たとえばヘルプマークなどのように、一部で考案されたものが現在では全国で認知度が高まった例がありますよね。目に見えない障害に対して配慮できる優しい社会になっていくことを望みます。