「7歳の時に視力を失った」毎年100人死亡…日本の医療スタッフが釜山を訪れた
◇韓日政府2005年から原爆被害者支援 長崎県公務員3人と日本赤十字社長崎原爆病院、長崎大学病院所属の被爆専門医療スタッフ6人など計9人が韓国人原爆被害者を助けるために釜山(プサン)を訪れた。一行は11日から3日間、大韓赤十字社釜山支部などで釜山圏域原爆被害者227人と医療相談を行う。一行は大韓赤十字社の斡旋で韓国を訪れた。長崎県行政公務員のタニグチさん(50)は「韓国人原爆被害者の最後の1人まで支援する」と誓った。 韓国人原爆被害者生存者は10月基準で1622人、平均年齢84歳だ。生存者は毎年100余人ずつ死亡している。 日本の公務員と医療スタッフは2005年から韓国を訪問して原爆被害者を助けている。大韓赤十字社原爆被害者・サハリン同胞支援本部のオ・サンウン課長は「韓日政府は2005年に協定を結んで1945年8月第2次世界大戦当時、広島と長崎に投下された原子爆弾で被爆した韓国人を支援している」とし「全国を6つの圏域〔首都圏・大邱(テグ)・陜川(ハプチョン)・釜山・慶南(キョンナム)・全羅(チョルラ)〕に分けて毎年2つの圏域で医療相談を進めている」と説明した。現在まで合計6848人が相談を受けた。 ◇原爆被害者、身体的・精神的苦痛を訴え 原爆被害を受けた韓国人は今も苦痛の中で生活している。12日、大韓赤十字社釜山支部で会ったキム・イルアクさん(82)は「3歳の時に原爆被害を受けて、7歳の時に右目の視力を失った」と話した。キムさんは「原子爆弾が投下されたところからわずか2キロしか離れていないところに住んでいたが、妹は12歳の時に死に、弟は2015年に大腸がんで死んだ」とし「私も30代のころ繰り返し病気になり、正常な経済活動が全くできなかった」と話した。 現在、基礎生活保障受給者として細々と暮らしているというキムさんは「35歳という年齢で息子を産んだが、5年前に腎臓病の診断を受けた」とし「私のせいで病気になったのではないかと思うと心が痛む」と話した。 日本赤十字社長崎原爆病院所属医師のスガマサさん(30)は「家族を失った悲しみや罪悪感など精神的苦痛を訴える原爆被害者が多い」とし「私の祖母も原爆被害者なので彼らの苦痛がどんなものかよく知っている」と話した。韓国国内には被爆専門医療スタッフがいないため、日本の専門医療スタッフの訪問は被害者にとって精神的にも非常に役立っているという。日本政府機関である放射線影響研究所の医師イマイズミさんは「病気を患っていない被害者でさえ、体が不調だと原爆の影響ではないかと心配して精神的に苦しむ」とし「彼らの話に耳を傾けたあと、情緒的な不安が解消されたという被害者もたくさんいる」と話した。 韓国人原爆被害者二世や子孫は希少性難病を患っても政府の支援を受けることができない。韓国原爆被害者協会釜山支部のイ・ジョンブ副支部長は「被害当事者だけでなく二世、三世代で後遺症を患う場合が多い」とし「私も2歳のときに原爆被害を受け、現在孫が知的障害1級診断を受けたが遺伝的影響が大きいのではないかと思う」と話した。 これに関連して、原爆被害者の後遺症が遺伝するのか調べる研究〔漢陽(ハニャン)大学医学部〕も2020年から進められている。次世代塩基配列分析技術を使ったこの研究結果は今年末に発表される予定だ。イ副支部長は「子孫に相続されるという根拠がなく、二世が原爆関連で疑われる病にかかっても支援を受けられずにいる」とし「原爆被害が遺伝するという研究結果が出たらと良いが」と強調した。病魔と戦っている原爆二世の集まりである「韓国原爆二世患友会」の会員は1300人余りに達する。