水への渇望が厳しい現代社会を力強く生き抜く姿にも重なるヒューマンストーリー 映画「渇水」
厳しい現実や社会問題を描きつつ、生きる希望が込められた作品
家族とうまく接することのできない不器用な父親、貧困により水道料金を滞納してしまう人々、学歴もなくまともな職に就けないからとマッチングアプリで出会った男を渡り歩いて育児放棄する母親、そんな母を猛暑の中で電気・ガス・水道も止まった家で待ち続ける幼い姉妹などが登場する本作は、30年以上前のバブル期を背景に書かれた原作を基にしているとは思えない。格差社会、貧困、ネグレクトなど、当時からある社会問題が解決されていないばかりか、現代の方がより深刻さを増している。映画の結末は、厳しすぎる現実を突きつける原作とは異なるようだが、それは後味の良いハッピーエンドを目指したわけではないだろう。厳しさを実感している人が多い現代だからこそ、厳しい現実を描くだけでは意味がない。生きるために必須な水への渇望が全編に漂う本作は、生への渇望にも満ちており、先の見えない不透明な世界でも力強く生き抜いていく希望が感じられる作品となっている。 また、生田斗真や磯村隼人が演じる水道局員たちは、一定期間以上の滞納家庭には事前に通知した上で、停水執行する。「水なんて元はタダなのに金をとるほうがおかしい」といった罵声を浴びせられることもあるし、生活苦の家庭には非情な仕打ちにも映る。飲料水としても、衛生環境を保つ生活水としても必須な水道が使えない厳しさは、誰もが容易に想像できる。守らねばならない規則もあるし、水道局員たちにとっては正しい職務を行っているだけなのだが、それぞれの家庭事情を知ってしまうと、心が痛んだり、例外や柔軟性があっていいはずだと思うこともあるだろう。とはいえ組織の一員だけに、自己判断するわけにはいかないこともある。問題に気付きながらも解決策が見いだせず、理想と現実の間で苦悩する。これは様々なことに置き換えられ、誰もが身近に実感できるはず。苦悩が猛暑と相まって、ジリジリと身を焦がし、心も身体も渇いてすり減っていく主人公の心情は、観客にも体感できることだろう。 そうして、感情の乏しかった主人公がクライマックスで見せる変化と行動は、狂気や暴発なのか。やってはいけないことをやりたくなってしまうような衝動は誰にでもあるだろうし、それを理性や知性で抑えられることもあれば、感情や欲求で抑えられないこともある。ほとんど誰も傷つけず、誰かには生きる希望を与えたかもしれない主人公のクライマックスの衝動は、本当に狂ってしまわないためにやるしかなかった切実な行為なのだと思えた。あまりにも不器用すぎるが、その人間臭さを嫌いにはなれない。劇中でも流れる力強いギターフレーズが使われた向井秀徳の書き下ろしエンディング曲も印象深く、鑑賞後の余韻が長く残る。小さな世界の話だが、深く心に刻まれ、考えさせられるまさに力作だ。