あなたは正気を保っていられるか…?観る者の倫理観、道徳心を揺さぶる狂気の映画たち
人は誰でも心の平安を保ち、ピースに生きたいと願うもの。しかし生きていると、誘惑に負けて、ままならない状況に直面。あがき続けた挙句、冷静さを失い、狂気というドツボにハマってしまうこともある。この狂気というものは、実際に抱えてしまうのは遠慮したいが、映画で観る分には緊張感を高めるのに効果的だし、時に映画をおもしろくする。2024年の春に日本公開される洋画は奇しくも、狂気を扱ったスリラーがズラリとそろった。そのおもしろさや見どころを、ここに紹介していこう。 【写真を見る】セレブがクローンを作って死刑の身代わりにすることができるリゾート地が舞台(『インフィニティ・プール』) ■雄大なアイスランドの自然が人間の愚かさを際立たせる『ゴッドランド/GODLAND』 まずは『ゴッドランド/GODLAND』(公開中)。19世紀末、デンマークの若き牧師ルーカス(エリオット・クロセット・ホーヴ)は教会建設のミッションを背負い、まだ辺境の地だったアイスランドへと渡ろうとする。海を越え、荒れ野を進むこの旅は過酷そのもので、デンマーク人嫌いのガイドとはうまくコミュニケーションが取れない。従者のなかに命を落とす者も現れ、自身も死にかけたルーカスだったが、なんとか目的地の村にたどり着く。教会の建設は着々と進み、ミッションは順調と思われた。ところが、この頃からルーカスは聖職者らしからぬ行動を取るようになる。 当時は珍しいカメラで写真を撮ることに固執し、アイスランドで世話になる一家の娘と微妙な関係になり、言語の異なる建設業者に敵意を募らせていくルーカス。そんな彼の常軌を逸していく行動を、冷たい炎であぶり出すかのように捉えていく。アイスランドの荒々しくも美しい風景は、人間の愚かさと対比をなすようで、強烈な印象を残すに違いない。 ■犯罪とクローン製造を繰り返す危険なシステムから抜けられない…『インフィニティ・プール』 続いては『インフィニティ・プール』(公開中)。鬼才デヴィッド・クローネンバーグの息子にして、『ポゼッサー』(20)などの狂気スリラーで鳴らす俊英ブランドン・クローネンバーグの最新作だ。舞台は高級リゾートアイランド。バカンスで妻と共にこの地にやって来た作家ジェームズ(アレクサンダー・スカルスガルド)が、彼の小説のファンだという観光客の女性ガビ(ミア・ゴス)と知り合う。この地は刑罰が死刑のみという恐ろしい国ではあったが、観光客にはクローンを作って身代わりに処刑させることで罪を逃れられるという特権があった。ガビやその夫に誘われ、犯罪とクローン製造を繰り返すジェームズは、この危険なシステムから抜けられなくなっていく。 道徳を超えて観光客を優遇するシステムも怖いが、それに乗じて殺人を繰り返し、悦楽を覚えていく人間の狂気も、実に恐ろしい。底なしの堕落のなかで、ジェームズも一度は“マズい”と思うのだが、堕落しきった観光客仲間がそれを容認するはずもない。集団の意識が束になると、そこから一人で抜け出すのは困難だ。彼を狂気の淵から逃がそうとしない魔性人ガビを演じた、『X エックス』(22)、『Pearl パール』(22)のミア・ゴスの怪演は目を見張るものがある。 ■この映画自体が狂気!『No.10』 オランダ映画『No.10』(4月12日公開)は、『ボーグマン』(13)で世界を驚嘆させた異才アレックス・ファン・ヴァーメルダムの新作。事の発端は、新作の舞台に向けてリハーサルを続けている劇団員たちの葛藤。大役を演じる役者ギュンター(トム・デュイスペレール)は演出家の妻と不倫関係にあったが、それを共演の俳優に暴かれて窮地に立たされる。復讐を誓い、公演当日に、とんでもない暴挙に出るギュンター。しかし、それはこのあとに続く常軌を逸した事態の序章に過ぎなかった。 ヴァーメルダム監督の作品にはシュールな展開が多々見られるが、本作はその極み。心理劇のように始まった物語は紆余曲折を経て、誰も予想し得ない結末へと着地する。ギュンターの行為は確かに狂気的だが、なにより狂気と呼びたいのは、この映画そのものだ。詳しく語ると興味が半減するので、ぜひその目で見て、驚くべし! ■内気な青年の秘めた欲望が暴かれだす『マンティコア 怪物』 対照的に4月19日(金)公開のスペイン映画『マンティコア 怪物』は、現実味のある物語。主人公フリアン(ナチョ・サンチェス)は人付き合いの苦手な青年。ゲームのクリーチャーデザインの仕事をしており、自宅でVR用ヘッドセットを装着して作業に勤しんでいる。ある日、アパートの向かいの住居で火災が起こり、彼は部屋に閉じ込められていた幼い少年を救出。やがて行きつけのレストランで件の少年を目撃したことから、フリアンの秘密の欲望に火がつく。一方で、フリアンは同僚の友人で、アート好きな女性ディアナ(ゾーイ・ステイン)と惹かれ合う。ところが、この恋は予期せぬ事態によって翻弄されていく。 『マジカル・ガール』(14)で賞賛されたカルロス・ベルムト監督が、募りゆくフリアンのフラストレーションを緻密に描写。絶望の果てに狂気の行動に出てしまったフリアンの未来に待つのは、幸福か、不幸か?その衝撃と、多様に解釈できる結末の余韻をじっくり味わってほしい。 ■善良な家族に起きた悪夢のような休暇…『胸騒ぎ』 最後に紹介するのは、デンマークとオランダ合作の『胸騒ぎ』(5月10日公開)。デンマークに住む男とその妻、幼い愛娘がバカンス先でオランダ人の家族と意気投合。帰国後、その一家からオランダの自宅への招待状が届き、彼らはそこで週末を過ごすことに。オランダ人一家は相変わらずフレンドリーだったが、ベジタリアンの妻に肉を勧めてきたり、娘を床の上に寝させたりと、どうも様子がおかしい。少しずつ気味の悪さが募っていき、デンマーク人一家はことを荒立てないように、そっとそこをあとにしようとするが、真の悪夢はその先に待っていた。 サンダンス映画祭で賞賛され、ホラーの分野で鳴らすハリウッドのプロダクション、ブラムハウスによるリメイクが決定。それだけでも内容の凄みは保証されたようなもので、本作でのオランダ人一家の狂気の秘密は衝撃的だ。一方のデンマーク人一家は一見すると善良で、かわいそうな被害者に思える。しかし、彼らの善意は本物なのだろうか?うわべの善良さを取り繕い続けることこそ、狂気なのでは?そんな思考を促す点でも見応えのあるスリラーだ。 注目の5作品を紹介したが、どれも個性的な狂気がにじみ出ており、それぞれに恐怖を感じさせずにおかない。ひと口に狂気といっても、そこに至るプロセスは多種多様。そして、どんな人間でも狂気に囚われる危うさを胸の内に秘めている。これらの映画を観て、正気を保つ秘訣を考えるのも一興、か!? 文/有馬楽