プロ野球オールスター戦がこうも盛り上がらなくなった必然
オールスター戦が近づくと、南海ホークスの大捕手だった野村克也を中心に、パの主だった選手たちが「作戦会議」を開き、これをスポーツ紙などが報道した。 オールスター戦前夜には、スポーツ紙だけでなく一般紙のスポーツ欄でも「西鉄・三原脩、巨人・水原茂両監督の因縁の対決(三原脩は水原の巨人復帰によって巨人を退団し、西鉄監督になった)」とか「南海のエース杉浦忠と、巨人長嶋茂雄、王貞治の対戦はいかに」などと前景気を煽り、両軍のラインナップを予測して、その優劣を予想したものだ。
通算成績はパ90勝、セ80勝、11引き分け。パはオールスター戦で勝ち越すことで「実力のパ、人気のセ」だとアピールしてきた。 名勝負がいくつも生まれた。 1971年、西宮球場での第1戦。セの先発投手、阪神の江夏豊は先頭打者のロッテ、有藤通世を皮切りに、パ・リーグの並みいる強打者から9連続奪三振。オールスターでは投手は3イニングしか投げられないから、これ以上の成績は望めない空前の大記録を樹立した。 1974年、後楽園球場での第1戦、パの1対2で迎えた最終回、代打で登場した阪急の高井保弘は、ヤクルトの松岡弘から代打逆転サヨナラホームラン。高井はこの年、NPB新記録となるシーズン代打本塁打6本を放っている。
1987年、甲子園球場での第3戦。セの先発は巨人の桑田真澄、パの3番打者は西武の清原和博。1回1死一塁で回ってきたPL学園でのチームメイトの初対決は、清原が左翼に大ホームランを打つ。桑田は負け投手、清原はMVP。 さまざまなエピソードを振りまいてきたオールスター戦だが「制度疲労」というか、ファンを興ざめさせることもいくつか目につき始めた。 その1つが「球宴ジャック」。特定の球団のファンが、投票を集中させてひいきのチームの選手で、オールスター戦のラインナップの大部分を寡占させることだ。
1978年のオールスター戦のファン投票では、パ・リーグの9つのポジションのうち8つに日本ハムの選手が選ばれた。球団がファンに投票を呼び掛けた結果こうなったのだが、やりすぎだということで三塁の古屋英夫と遊撃の菅野光夫が出場を辞退した。 この時代のファン投票は「はがき」が基本だった。1人で何枚でも投票が可能だが、熱心なファンが人海戦術をすれば、簡単に「球宴ジャック」が可能になるものだった。 ■ネット投票でも特定チームの選手に集中