年収3億から激減…石田純一(70)、電車通いで焼肉店で働く現在「ゴルフの会員権、車、家、全部売りましたよ」
「びっくりするぐらいお金は入ってきた」ブレイクした当時を回顧
1954年、東京・目黒で生まれた石田。NHKのアナウンサーだった父は、厳格な人で、親子の会話は少なかったそうだ。学生時代は、都内の進学校の野球部に所属し、エースで4番として活躍。その後、進学した早稲田大学を中退し役者の道へと進んだ。 石田:(役者として)世の中で認められるまでは10年かかりましたちょうど。だからアルバイトして食っていましたね。舞台をやる時は自分たちもトンカチ持って泊まり込んでやりました。劇団に通うのに地下鉄が高いんで渋谷から、新橋まで歩いてました。まあ(アパートは)普通の1Kですね。今の若い人と一緒だと思いますが。 ーー何畳とか覚えてますか? 石田:全部で10畳ぐらいじゃないかな。でもなんか月が見えたから。いつも月と会話じゃないけど、そんな景色は覚えてますね。やっぱり好きな世界に飛び込んだけど、結局ちょっとな…っていう感じでした。 10年間の下積み生活を経て…W浅野で話題になったドラマ『抱きしめたい!』に出演。遅咲きながら、34歳で俳優としてブレイクした。 石田:だって岩城滉一さんに言われましたもん。「お前な、今が一番いい時だぞ」って。この後は煩わしくなったりとかもちろん半分妬みもあるから。だけど相当色々何だかんだ言われて辛いよ、と。「だから今一番楽しんどけ」って。『抱きしめたい!』でちょうどヒットした頃。 ーー“楽しみ過ぎちゃった”ことはありますか? 石田:ははは。いやいや、だけど本当にね、びっくりするぐらいお金は入ってきたりしましたね。けど使う暇がない。もう寝る暇無いんで。 ーーどのくらいの年収があったんですか? 石田:全部足してですけど、年収は3億くらいですかね。 一躍、トレンディー俳優の仲間入りを果たした石田。その後は、カーディガンを巻き、素足で革靴を履く姿と、プレイボーイキャラでバラエティー番組でも活躍した。
テレビの出演本数が激減したワケとは…
石田:何が悪いのかは想像でしかないんで。例えばコロナの時の対応が悪かったとか、出歩いたとか、そういうのはやっぱり言われてもしょうがないですけど。でもそれで全部ね、人格否定はいいけど、人生まで否定されたらちょっと辛いですけど。 ーー芸能のお仕事、テレビはどのような状況ですか? 石田:全然減ってますよ。テレビはもう相当減ってますけど。 ーーCMは何個くらいありますか? 石田:9個が1個に。8個無くなりました。 ーーテレビのレギュラーはいかがですか? 石田:ありました。3つとも無くなりました。4年経ったのでまたちょっと出てきていますけど。ゴルフの会員権、車、家、それ全部売りましたよ。でも誰にも迷惑かけずに暮らしていけるので、それをとやかく言われる筋合いは全くないので。 ーー聞きづらいですが、収入も結構落ちましたか? 石田:それは全然落ちていますよ。普通にこの間まで取っていた額の半分にいくかもしれないと思ったのは、まあデモに行って。それは戦争反対という意味でのデモに行きました。それでうちの奥さんには「収入半分になるかもしれないけど、もうどうしても俺は行かなくちゃいけない」って。「止めても行くんでしょ?」って言うから「行くよ」って。半分になると思ったら10分の1になりました。 家族との暮らしを守るため、焼肉店をオープンさせた石田。70歳になっても、精力的に店に立ち続ける。 石田:本当真剣な話をしちゃうと(経営は)まあまあ良い所まで来ているかなと。今だいたい月、いわゆる売上でいうと1千万前後なんですね。それはすごい今の世の中だったらすごくありがたい。