泉房穂・前明石市長がこれだけは国民に伝えたいこと「日本にはまだまだ希望がある!社会は必ず変えられる」
時代の大きな変化に弱いのは政治家だけでなく、「過去問」が得意な官僚も同じだ。それを実感したのがコロナ禍だった。新型コロナウイルスが流行し始めた当初、市長として、どう対応すべきか考えていたが、中央省庁から明確な指示はなかった。コロナ対応には過去問という「前例」がなかったのだ。そのため、官僚たちは何をすればいいか分からず、国の機能は完全にストップした。 私はどう向き合ったか。答えはいたってシンプルだ。市長室に籠るのではなく、市内の商店街をずっと歩き回った。そして、そこにいる人たちの話を徹底的に聞いた。なぜなら、答えは現場、まちの中にあるからだ。 一気に感染が広がっていた2020年4月10日のこと。商店街を歩いていたら次々に声をかけられた。 「市長さん、見て。お客さんゼロや。先月もテナント料が払えてなくて、今月も払えなかったら明け渡しや」 「シングルマザーのパートさんが働いていたけど、店を休んでいるから給料が払えない。あの家、きっと困ってるわ。市長さん、助けてあげて」 この市民の切実な声、心配する顔こそが「答え」だ。私はその場で「両方とも助けます」と宣言して、急ぎ、市役所に戻った。
すぐに幹部職員を集めて、商店街の店舗への2カ月分のテナント料の支給と、ひとり親家庭の子どもに対して現金を支給すべく、予算組みを指示した。そのまま議会にも行って「いま立ち上がらなければ政治の意味がない。私のことが嫌いでも、市民のために臨時議会を立ち上げて予算審議をしてほしい」と頼んだ。議会も、すぐに臨時議会を立ち上げてくれて、2週間で市民の手元にお金を届けることができた。 市民の声は大切である。だからといって、市役所に来る人たちの声ばかりを聞いていてはいけない。国会議員で言うならば、議員会館に訪れる業界団体などの声は、口利きや見返りを求めるようなものが多くて真の国民の声とはいいがたい。 本当に耳を傾けるべきはノイジーマイノリティーでなく、市役所に来ないような「サイレントマジョリティー」の声である。その声は、職場にいるだけでは聞こえてこない。現場に足を運ぶことだ。