今や希少価値?異色のサブマリン専大・高橋がドラフト注目候補に急浮上
だが順風満帆にドラフト候補となったわけではない。スランプがあった。昨春以降は、四死球などで突如制球を乱し大量失点するという悪循環。同秋以降は、白星にも見放され、今年6月の1部2部入替戦では、2部降格の憂き目にも遭った。 専大の齋藤正直監督は「(投手経験がない)野手目線から見て」と前置きしつつ、こう分析していた。 「アンダースローの理想である、テイクバック70%→リリース時に120%の力で投げれてないので、特有のボールが浮き上がらず、逆に打者の手前で垂れてしまっていた」 好調時のビデオを見返したり、監督のアドバイスに従ってプレートを踏む位置を従来の一塁側ではなく、今春から三塁側に変更するなど、試行錯誤を繰り返したが、結果が伴わず「神宮(球場)には、いい思い出がない」と、その心情を吐露した。 入替戦の終了後には、齋藤監督と二人三脚のフォーム改造を行った。 手始めに、従来のワインドアップから今冬以降ノーワインドに変えていたのを、「身体と制球のブレをなくすため」(高橋)に走者なしでもセットポジションに変更。さらに、球速を出そうとして前のめりになってたフォームを矯正して、軸足にしっかりと体重を乗せて、タメを作ることを意識した。「逆に右打者のインサイドが投げづらくなった」ということでプレートを踏む位置を元の一塁側に戻した。 すると8月18日の神大戦では、8回に二塁打を浴びるまで完全投球。打たれた安打は、これ1本のみで、課題の与四死球は0。OP戦ながら"準完全試合"をやってのけた。 「人生初の無四球完封。高めでボールの下を振らせる理想の投球ができた」。 アンダースローだけに文字通り"再浮上"のキッカケを掴み、今秋のラストシーズンに繋げた。 そもそも高橋がアンダースローになった契機は中学時代に遡る。 当時所属していた流山ボーイズの新佐古コーチが、高橋の体を使い方を見て、横回転で力が出るタイプと判断、「横から投げてみたら、どうか?」と提案した。 「ちょうどオーバーで行き詰まってて『投手やめたいなぁ』と思ってたところだったので、何でもやってやろう」と、高橋は、その提案を受け入れて、中2の冬、まずはサイドスローに変えた。 そのうち、「もっと腕を下げた方が、打者に嫌がられる」と考え、「気づいたら(アンダースローに)自然になってた(笑)」という。 オーバースローからアンダースローへの転向は想像以上にスムーズに進んだ。 「元々身体が柔らかかったので(すぐに体得できた)」 春頃には、既に試合で投げていたというから驚きだ。 手本にしているのは、西武の牧田だ。 「ルーキー時代に先発から、途中で抑えに転向して活躍したのを見て『カッコイイな!』と。自分もそうなりたいと思ったんです。ナチュラルにシュート回転する真っ直ぐの軌道が、自分と似ているんです。特にリリースの形とクイックの仕方(※最速1.12秒と、高橋はプロの平均よりも速い)を参考にしました」 牧田のスタイルを追い求める中、「自分のアンダースローの型を大学で確立できた」と自負した。 ドラフトを待つ心境は、「まだ実感湧かない。どこか拾ってくれたらいいかなぁぐらい」と言いながらも、「(プロに入れたら)短いイニングでもいいから、即1軍で投げたいですね。まずはOP戦やキャンプで、自分の投球がどれだけ通じるのか楽しみです」と、早くもプロ入り後のプランを描く。 目指す将来像として、「最終的にはWBCで、(大学2年以来)もう一度日の丸を付けて、牧田さんのポジションを担いたい」と、いつもは飄々としている高橋が、珍しく意気込んだ。 異色のサブマリンが運命のドラフトを待つ。 (文・写真・徳吉刑事/スポーツライター)