「メルシー」「ボンジュール」しかわからない浅田次郎が、パリでのあまりに情けない体験で痛感した「意思疎通の難しさ」
好意的に協調しながら利害は決して一致しない
「わかった。食やいいんだろ、食やあ。その前にタバコを喫いたいんだけど、灰皿を持ってきてくれないか。わかるか、灰皿だ」 と、また何を勘違いしたものか、ギャルソンは通りの何軒か先にある「TABAC」という看板を指さした。 「そうじゃない。タバコは持っている。灰皿だよ、灰皿」 言いながら両手の指で正方形を作ったのがなおいけなかった。ギャルソンはその形をタバコのパッケージと誤解したらしく、ごていねいにトレイを差し出して、ここに金を置け、俺が買ってきてやる、銘柄は何がいいのだと言っているらしい。 ものすごくいい奴なのである。誤解とはいえ彼の好意を無にするわけにはいかず、コインを渡しながら私は、再び「メルシー」と微笑みかけてしまった。 おそらくギャルソンは、フランス語を全く解さぬ日本人旅行者に、心からの誠意をもって奉仕しようと考えているのである。 やがて彼は、私のおつかいを果たして戻ってきた。「メルシー」とチップを渡して、私はウンザリとした。トレイの上には、私が世界中でで最も呪(のろ)わしいタバコと信じている「ジタン」が載っていたのである。 ギャルソンは胸ポケットからチラリと青いパッケージを覗かせて、ペラペラとしゃべった。 何だかよくはわからんが「俺と同じタバコだ、これはうまいぞ」と言っているらしい。ごていねいにパッケージを開け、ライターの火を差し向けて、ようやく灰皿がないことに気づいてくれた。 と、つい今しがたホテルに戻ってきてこの原稿を書いているのだが、わが身の愚(おろ)かしさに暗澹(あんたん)となってしまった。意思が通じぬばかりに、嫌いなものを次々と食べさせられ、カフェ・オ・レを飲まされ、ジタンを喫ってしまった。 私の著作の中には、すでにフランス語に訳されて出版されているものもあるというのに、作者本人がパリの町で朝食もロクに食えないというのは余りに情けない。 言葉が通じなければ、たとえ互いがどれほど好意的に協調し合おうとしても、努力は無駄なばかりか利害は決して一致しないのである。「メルシー」と「ボンジュール」だけで意思の疎通が計れるはずはない。帰国したら遅ればせながら四十五の手習いというやつを始めてみようと思う。 それにしても腹が減った。今しがたの出来事はいずれ「週刊現代」の誌上でバレるけれど、きょうのところは何くわぬ顔で同行者たちと朝食を食い直すことにする。 ああ、情けなや。 (初出/週刊現代1997年11月1日号) 浅田次郎 1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。