【大学野球】「赤門旋風」を経験した強力タッグの誕生 優勝を目標に掲げる東大監督&助監督
「頼もしい相棒です」
「赤門旋風」を経験した強力タッグの誕生だ。 東大は大久保裕助監督が昨年11月、監督に昇格。2019年11月から井手峻前監督を支える助監督として、母校を指導していた。井手前監督が病気療養で、昨年は春、秋と大久保助監督が監督代行として指揮。東大の監督は「1期2年」。井手前監督は昨秋限りで任期満了により退任し、新監督の人選が進められた。 「後任はOBの中から公募で選ぶ」との内規があり、大久保助監督が自ら手を上げた。 「井手さんの下で4年間やらせていただき、引き続き、やらせていただきたい、と。選手と一緒に、グラウンドで頑張ってみたいと思いました。OB会(一誠会)の承認を経て、就任の運びとなりました。助監督とは責任感、立場が違う。しっかりやらないといけない」 大久保監督は湘南高(神奈川)出身。東大4年春(1981年)には主将(三番・遊撃手)として勝ち点2(6勝7敗1分)の4位と「赤門旋風」の原動力の一人となった。卒業後は社会人・三菱自動車川崎で3年プレー。攻守のきめ細やかな指導には定評がある。 昨年は大人の指導者が、大久保助監督一人だった。一誠会では、新たな助監督の人選に着手。数人の候補者の中から、大久保監督の同級生である石井清氏に白羽の矢が立った。 「若い人は仕事もあるので、現実的に難しい部分がある。時間的な余裕がある我々世代でないと……(大久保監督は4月で66歳)。年に何回か会う機会があり、『どう?』と打診すると、受けていただけることになりました」 石井助監督は「赤門旋風」で俊足の一番打者だった。80年秋には東大におけるシーズン最多9盗塁。大久保監督は「50メートル走は6秒台前半だったのでは……。速かったです」と、リードオフマンとして打線を引っ張った。卒業後は日本生命でプレーし、マネジャーも歴任し、名門社会人チームを運営面で支えた。 「入学後、一誠寮には入れず、私、石井、相賀(英夫、赤門旋風時の二番・二塁)の1年生3人は駒場寮に入り1年間、大部屋で生活していました。その後、負けたときのつらい思いも一緒に共有し、何とか頑張って、神宮で勝つことも経験してきました。石井助監督は3月までは仕事がありますので、土、日限定での指導になりますが、4月以降はフルで見てくれる。心強い。頼もしい相棒です」