古代ローマの俗説8選、「剣闘士は死ぬまで戦った」「吐いては食べた」は本当か
俗説7:初期キリスト教信者はコロッセウムで虐殺された
初期キリスト教が語られるとき、信者たちがコロッセウム(円形大演技場)で残酷かつ残虐な拷問の末、殺されていた時期がある、という話は特に印象的だ。 コロッセウムでそうしたことが行われていたことを示す歴史的証拠はまったくない。実際には、キルクス・マクシムスといったローマの別の場所や地方の街が、宗教関係の処刑の場だった。 ともあれ、コロッセウムでの殉教の話が登場したのは5世紀のことだ。その頃には、キリスト教はすでに公式の宗教として採用されている。16世紀頃には、カトリック教会は、コロッセウムを聖地に定めている。殉教者が流した血によって神聖な場となったと考えられたのだろう。
俗説8:ローマ帝国の滅亡は476年
従来の説では、5世紀にゲルマン人の王オドアケルが、皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位したときにローマ帝国が滅亡したとされる。 厳密には、それはローマ帝国の滅亡ではない。330年、帝国は、ローマを首都とする西ローマ帝国と、コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国に分裂した。ロムルス・アウグストゥルスは476年に皇帝の座を奪われたが、東ローマ帝国の皇帝ゼノンはそうなっていない。東ローマ帝国は、その後、ビザンツ帝国として1000年間存続した。 西ローマ帝国の滅亡は大げさに語られすぎだ、という人もいる。歴史学者のエドワード・J・ワッツ氏は、著書『The Eternal Decline and Fall of Rome: The History of a Dangerous Idea(ローマの永遠の衰退と崩壊:危険な思想の歴史)』で次のように指摘している。「[オドアケルの]登場で、ローマの生活が一変したと考える者は、イタリアには誰ひとりとしていなかった。(略)伝統的にローマをローマたらしめているものは何もかも残っていたのだ」 確かに、古代ローマの名残は今もなお、インフラに、スポーツへの愛に、そしてロマンス語(フランス語、イタリア語、スペイン語などの言語)に数多く見られる。古代ローマが、意外な形で今も残り続けているのはよいが、間違った俗説はいつまでも語り続けなくてもいいだろう。
文=Parissa DJangi/訳=夏村貴子