古代ローマの俗説8選、「剣闘士は死ぬまで戦った」「吐いては食べた」は本当か
俗説4:ネロは炎上するローマでバイオリンを奏でた
紀元54年から68年までローマを治めたネロは、歴史上最も悪名高い皇帝の1人として記憶され、その評判は、贅沢ぶりや残虐さを示す逸話に満ちている。なかでも、紀元64年に ローマを襲った大火の際、炎上する都市を前に、ネロは平然とバイオリンを弾いていたという俗説は根強く残っている。 光景がありありと目に浮かぶが、これも作り話だ。ローマの大火を記した文献は、かなりの年月が経ってから書かれたもので、この有名な話を裏付ける目撃者は存在しない。そもそも、中世になるまでバイオリンは存在すらしていない。 実際には、ネロは 大火を深刻に受け止めていたと思われる。火災の発生時、ネロはローマにはいなかったが、知らせを聞くと急いでローマに戻り、火の勢いを抑えようとしたり、被災者の救援をしたりするなど、できるだけのことをしたという。
俗説5:女性は家に閉じ込められていた
確かにローマは家父長制社会であり、女性は男性に比べ自由が少なく、選挙権もなく、公職にも就けなかった。 だからといって、女性は家の中に隔離されて公的活動から遠ざかっていたわけではない。実は、ローマの女性は、財産を所有するなど、自分の生活をコントロールするすべを見つけていた。ユリア・フェリクスもそうした女性の1人で、紀元79年のポンペイ 滅亡の直前、彼女は複数の建物と一軒の浴場を所有していた。 法的な権利はなかったものの、皇帝や元老院議員の妻、姉や妹、娘など、政治に影響力を持つ女性もいた。それだけではない。紀元前195年、ローマの女性たちは、女性の服装を制限するオッピウス法に反対する街頭デモを行っている。
俗説6:見た目も喋る言葉もみな同じ
ローマ帝国が最盛期を迎える2世紀、領土は今日のイングランドからトルコにまで広がっていた。そこには、さまざまな民族や文化をはじめ、アラム語やギリシャ語、ゴール語(ガリア語)といった多様な言語が存在していた。 さらに、人々は帝国内を行き来していた。1901年、イングランドのヨークで、古代ローマ時代の地位の高い女性の遺骨が見つかった。そのおよそ100年後、骨の分析結果から、女性は北アフリカ系とみられるという結論に達した。こうした例は、ほかにもある。 ハドリアヌスの長城として知られるローマ時代のブリタニア国境には、城壁に展開する軍隊の一部に、アフリカ系の兵士がいたという。 皇帝もイタリア半島出身とは限らなかった。トラヤヌス帝は現在のスペインの生まれだし、セプティミウス・セウェルス帝は現在のリビア出身だ。