YouTubeを駆使する「嫌われ者」が主役の時代…マスメディアは生き残りを懸けて「ユーチューバーと競争せよ」
マスメディアには改善の余地がある
今から約60年も前、1966年に発表された日本新聞協会の声明を紹介しよう。 《新聞は通常の報道、評論をやっている限り、選挙法上は無制限に近い自由が認められている。したがって、選挙に関する報道、評論で、どのような態度をとるかは、法律上の問題ではなく、新聞の編集政策の問題として決定されるべきものであろう。 従来、新聞に対して、選挙の公正を確保する趣旨から、ややもすれば積極性を欠いた報道、評論を行ってきたとする批判があった。このことは同条ただし書きにいう「……など表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」との規定が、しばしば言論機関によって選挙の公正を害されたとする候補者側の法的根拠に利用されてきたためだと考えられる。 しかし、このただし書きは、関係官庁の見解あるいは過去の判例によっても明らかなように、一般的な報道、評論を制限するものでないことは自明であり、事実に立脚した自信のある報道、評論が期待されるのである》 この声明は新聞が選挙について報道する自由を認めている公選法第148条について言及している。声明にある「同条」とは148条のことだ。この時代からマスメディアは社会の期待に応えていないことがわかる。 腰の引けた報道の隙間をYouTubeやSNSが埋めるメディア環境から、現場の取材からも埋めていく時代に――。 いつの時代も有権者は合理的な判断をする。選挙をより有意義に、かつダイナミズムを感じられるものにできるかどうか。取材すればこんなに面白い選挙という一大イベントをユーチューバーに独占させてしまうのはもったいないというのがメディア業界の一プレイヤーでもある私の見解である。 ユーチューバーとの競争に打って出ることで、まだマスメディアには改善の余地、伸び代はある。時代に即して変わること、時代を越える爪痕を残すことしか生きていく道はない。 これまでイノベーションを起こしてきた20世紀のメディア人は多くいる。彼らから学べる、唯一にして最大の教訓である。
石戸 諭 1984(昭和59)年、東京都生まれ。立命館大学法学部卒業後、毎日新聞、BuzzFeed Japanの記者を経て、2024年11月現在はノンフィクションライター。著書に『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』(新潮新書)『リスクと生きる、死者と生きる』『ルポ 百田尚樹現象』『ニュースの未来』『東京ルポルタージュ』などがある。 デイリー新潮編集部
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