ポーラ美術館「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ― 機械時代のアートとデザイン」展レビュー。機械はいったい人間に何をもたらしたのか?(評:小川敦生)
「機械時代」とは何か
現代をテクノロジーの面でとらえて、「デジタル時代」と呼ぶことに異論のある人はあまりいないだろう。約1世紀前にも、その流れに通じる呼び方があった。「機械時代」である。飛行機が初めて本格的に兵器として用いられた第一次世界大戦(1914~18)が勃発するいっぽうで、欧米で自動車の量産が進んだのがこの時代だった。1927年には、ニューヨークで「機械時代展」と称する展覧会が開かれ、芸術作品と機械が並置されたという。 パリでは、1925年に「パリ現代産業装飾芸術国際博覧会」(通称「アール・デコ博」)という催しが開かれた。「芸術」という言葉が含まれてはいるけれども、印象派などのいわゆるファイン・アートとは少々異なる「装飾芸術」をテーマにした博覧会だ。「装飾芸術」はデザインに近い概念であり、産業界やテクノロジーとも密接に結びつく素地を持つ。ポーラ美術館(神奈川県箱根町)は、「アール・デコ博」を当時の価値観の「分水嶺」としてとらえた企画展を開催している。パリの動きを中心にアートとデザインの両面から機械時代の本質に迫ろうと試みた「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ― 機械時代のアートとデザイン」(2024年5月19日まで)展だ。 「デジタル時代」と呼ばれる現代においてインターネットやAI(人工知能)の功罪が取り沙汰されるように、「機械時代」にもテクノロジーがもたらす功罪があった。展覧会名に含まれている「モダン・タイムス」という言葉は、機械時代を風刺したチャップリンの同名映画(1936)から取っているという。そうした視点を持ちながらこの展覧会の会場を回ることで、何が見えてくるかを探った。
プロペラに魅せられたブランクーシ
第1章のテーマは「機械と人間:近代性のユートピア」。展示室に入ってまず驚くのは、部屋の中心に美術作品ではないものが広く場所を取ってまるで美術作品のように展示されていることだろう。蒸気機関や歯車のついた装置の模型だったり、小型の自動車だったりと、20世紀前半に機械がどんな発達をしていたかがわかる内容だ。美術館にあるからこそ「鑑賞しよう」という気持ちが湧いてくるのかもしれない。なかなか新鮮な体験である。 周りの壁には、クロード・モネやモイズ・キスリングの油彩画が掛かっている。モネは鉄道の駅、キスリングは疾走する蒸気機関車を描いている。19世紀後半のモネの絵画が出品されているのは、機械時代を象徴する鉄道を先駆けて題材にしている作品だからだろう。 19世紀後半にヨーロッパで発達した鉄道は時代を牽引する存在であり、何よりも人々の活動範囲を大きく広げた。レジャーが盛んになったのも、鉄道あってこそのこと。人々のライフスタイルをも変えた。おそらくモネもキスリングも鉄道に愛着を感じて描いたのではなかろうか。筆者がとくに注目したいのは、キスリングの蒸気機関車に、心なしか人間のような趣を感じることだ。 飛行機は世界をさらに大きく変えた存在だ。移動時間を短縮して世界を狭くするなどの実利性は言うまでもないが、その前に、まず空を飛んだこと自体が人々に大きな衝撃をもたらしたに違いない。そのなかで、ひとりの美術家が注目したのはプロペラだった。美しさに惹かれて独特の造形を自分の表現に昇華させた彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシだ。 写真のブランクーシの作品のタイトルは《空間の鳥》。空を飛ぶものという点を除けば、明らかに鳥ではなくプロペラの形に想を得た造形だ。プロペラが持つ機能美をさらに研ぎ澄ませることでこの作品が生まれたのかと思うと感慨深い。ここで、第1章のテーマに入っている「ユートピア」という言葉を思い出したい。人間の能力を大幅に拡張する機械には、「ユートピア」に連れて行ってくれるという期待と実感を、この章の美術作品を通して感じることができたように思う。