皇室民主化の象徴だった戦後「旧皇族」の皇籍離脱 成城大教授・森暢平
ただし、社長業は、周囲に担がれたのが現実だった。戦時中、軍にヘルメットを納めていた男性に誘われ、小田原から週3回、出勤する形だった。それにもかかわらず、春仁はロボットではないと言い切った。それは、国民と同様に、市井で汗をかく姿を示すためであった。都心へも東海道線を利用した。国民は、混雑する電車での遠距離通勤に注目した。 さらに、約2万平方㍍以上はあった小田原別邸を開墾して、農作物を生産する考えを記者団に披露する。「蜜柑(みかん)、柿等の果物や穀物、野菜等も作り、ゆくゆくは自給自足の域にまで進めたい」と構想を語った。食料難のなか、農業に乗り出す姿勢は国民の好感を得た。 ◇旧皇族を描いた映画 「非理性的だ」と批判 春仁に限らず、敗戦後のメディアは、旧皇族がそれぞれに苦労する実情をこぞって取りあげた。時事通信社が発行した日刊の『時事解説』(47年10月28日)は「混乱期にあたつて、いままでの特権をすてて、荒い浮世に飛び出された元宮様方が真の日本国民の一人として、あらゆる方面で堂々と活躍されることを切望してやまない」とプラスに評価する。 一方で国民からの好奇の視線もあった。一例として47年8月に公開された大映製作の「初恋物語」という映画がある。来たるべき皇籍離脱をモチーフにした作品だった。春日宮という青年皇族だった男性が、大学理学部に補助員として就職するストーリーで、周囲との軋轢(あつれき)や、一般女性との恋愛が描かれた。元春日宮を演じたのは、演技派の大スター、上原謙である。 この映画を見て憤慨したと春仁は記者団に批判の言葉を述べた。映画は、皇族の生態を華族以上に深窓に育った世間知らずと描いていると考えたためだ。「(旧皇族が)今から平凡な一社会人として世間の人々と対等の附き合いをして行こうとし、社会もこれ(旧皇族との関わり方)を見直しているとき、よくもあんな(略)盲断的な作品を世に出すことが出来た」と、製作者の「心臓の強さ」「非理性」を強い言葉で非難した。旧皇族を国民と同じ人間として見てほしいというアピールであった。