《追悼》「死がやっぱり一番怖いですよ」「大嘘をついてこそホラー」楳図かずお(88)が語った恐怖と不条理の関係
死がやっぱり一番怖い
――『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』も含め、楳図さんは様々なかたちで「恐怖」を描かれてきました。今作から遡ること二七年前に描かれた大長編『14歳』(1990年~1995年)は、鳥人間の「チキン・ジョージ」が動物を代表して人類に復讐しようとする話です。こうした「復讐」の怖さが他の作品でも描かれる一方、楳図さんの初期の恐怖漫画ではしばしば、理由もないのに襲われる怖さ、因果関係が明らかではない「不条理」の怖さが描かれていました。「復讐」と「不条理」、因果のはっきりした恐怖と因果がわからない恐怖は、ご本人の中でどのように絡み合っているものなのでしょうか。 楳図 中心にあるのは不条理ですね。不条理であり得ない、「全部嘘です!」というお話じゃないと、僕にとっては面白くないんです。これはね、ホラーの定義でもあり芸術が求めるべきところだと思うんだけれども、「大嘘をどれだけつけるか」。大嘘をついてこそ芸術で、大嘘をつけてこそホラーで、ホラーと芸術って密接なんですよね。ホラーは絵柄的にもそれこそ不条理な絵になっていくので、描いていてすごく楽しいんです。 今おっしゃっていただいた復讐の恐怖は、おっしゃる通り因果関係のある恐怖ですし、僕の考えでいえば「行動の恐怖」に分けられるものなんですが、やっぱり不条理なものでもあるんですよね。現実にはあり得ないような復讐の根拠だの、復讐の手法だのが入ってくるからです。そこで不条理が抜けちゃっているものは、単なる事件なんですよ。単なる事件と、ホラーで表現される怖い出来事は、重なっている部分もあるけれども、いっしょくたにされたくないと思っちゃいますね。
――恐怖にはいろいろな種類がある、とは『恐怖への招待』の中でも展開されていた議論です。その中で、死を「原始的な恐怖」と形容されていました。いろんな恐怖を描かれてきた楳図さんにとっても、死の恐怖はやはり想像力の源泉となるものなのでしょうか。 楳図 死がやっぱり一番怖いですよ。それがなければ、怖いことが起きたって何も怖くないですからね。ただ、僕は基本的にあんまり暗い性格ではないので、すごい真面目なんだけど、すごい軽いんです。だから死の恐怖を普段、特別に意識することはないんです。おばけもぜんぜん見たことがないし(笑)。漫画を描く時だけなんですよね。 ――子供の頃から、怖いものがお好きだったそうですね。 楳図 好きというか、父親と母親にさんざん怖い話を聞かされたんです。特に(奈良県宇陀郡)曽爾村に住んでいた頃は、父親から「ここには伝説がいっぱいあってね」と。「あそこの山の中にお亀池(かめがいけ)というのがあって、結婚した村のお嫁さんがお亀池に夜な夜な行くそうで、だんなさんが後をつけていくと……」って。父親に聞いた山の中でウワバミに襲われる話は、『へび少女』という漫画にもしています。「クマに襲われた時は、木に登って、登ってくるクマの手を鉈でちょん切ればいい」とか(笑)。 ――手塚治虫さんは都市の比較的裕福な家庭の生まれで、お父さんが持っていた映写機で映画やアニメを観て育ったという話も有名です。ある意味、すごく対照的と言っていいか分かりませんけど……。 楳図 あっ、そう思いますね。手塚治虫さんってよく考えたら、僕と年齢が十歳も離れていないはずなので、そういう人がそんなに次から次に考えられるのはどうしてなんだろうって最近、ふと思ったんですよ。僕の勝手な想像の中では、お父さんがすごくいろんなところにアンテナを張ってらっしゃる方で、芸術や外国の文化などを採り入れられる環境の中で育ったから手塚治虫がああなったんじゃないか。 あちらは文化的で、僕のところは山の中ですからね。山育ちなので、(僕が描いているものは)山の一部が東京まで延びてきたというふうな、そのぐらいのものなんですよね。まあ、最近は僕もようやく街の人になっているかもしれないけど。