ロシアの怪僧ラスプーチンとは何者だったのか、皇帝の信頼をどう得て、なぜ暗殺されたのか
王室への接近と寵愛
ラスプーチンは奇妙かつ矛盾する二重生活を送っていた。信奉者たちの前では、彼は謹厳で、賢く、心身の純潔を唱える人物として振る舞った。ところが、彼らの目のないところでは、ときには酔っ払いの性的倒錯者として乱痴気騒ぎに興じることもあった。 常に敬虔なイメージを保つのは簡単ではなかった。ラスプーチンは深い葛藤を抱えた人物であり、強烈な宗教的信念と、罪を犯したいという抑えがたい衝動の間で引き裂かれていた。 1905年にラスプーチンが皇帝と皇后に引き合わされた時点で、ロシアの大衆はすでに、彼に対して強い疑念を抱いていた。彼が王室に接近できたのは、ヒーラーとしての評判のおかげだった。 皇帝夫妻には、息子で跡継ぎのアレクセイがいたが、血友病を患っていた。1908年、ラスプーチンは自身が有する能力により、重い発作を起こしたアレクセイの苦痛を和らげたと言われている。アレクサンドラはラスプーチンをヒーラーとして認め、アレクセイの治療のために彼の力を借りるようになった。
危険な影響力
ところが、ラスプーチンの影響力は、健康と宗教的な分野以外にも及び始める。彼はニコライ2世とアレクサンドラに対して、政治的な助言をするようになった。そのせいで、ロシア貴族や政府の中に、彼を敵視する勢力が生まれた。ロマノフ家のほかのメンバーは、ラスプーチンのことを偽医者の詐欺師として忌み嫌った。 1915年、第一次世界大戦が激化すると、ニコライ2世はロシアを離れて東部戦線に向かった。孤独と動揺に苛まれるアレクサンドラが、ラスプーチンとともに過ごす時間はさらに増えた。ラスプーチンは今や専属の運転手を抱えて、皇后との個人的な祈祷会のために、宮殿などのあるツァールスコエ・セローまで車で出かけるようになった。 ロマノフ家の中では、アレクサンドラのせいで一族が悪評にさらされるとの懸念が高まった。皇后とラスプーチンとの関係は性的なものになったという噂が飛び交い、サンクトペテルブルクの街には、ふたりを題材にしたポルノのような絵が出回った。 ラスプーチンとアレクサンドラは「ロシアを破滅に導く闇の勢力」と評されるようになる。