V13具志堅超えに失敗した山中はタオル投入の暴走がなければ勝てていたのか
具志堅氏が14度目の防衛に失敗したのは初めて故郷沖縄に凱旋して戦った試合だった。 京都は山中が名門、南京都高(現、京都廣学館高)でボクシングを始めた原点である。 具志堅氏は、右目の網膜裂孔で、当時のルールに従い、プロ初黒星を最後に再起することなくグローブを吊るすことを余儀なくされた。 「目のこともあったけれど、後輩の渡嘉敷(勝男)にリターンマッチをさせてもらえるという話だったからね(のちに渡嘉敷は具志堅の失ったベルトを取り返す)」。だが、山中には再起のメッセージを送る。 「まずは、ゆっくりと休んでね。リターンマッチなのか、他団体でいくのか、本人次第だろうけど、彼のレフトはナンバーワン。いつでもあのパンチは使えるし、衰えることはない。今の時代は12ラウンドだし(現役を続ける)年齢も高くなっている。問題は、下から這い上がる、という気持ち、精神力だけ。強い人間だから出来ないことはない。おそらく彼はWBCに強い意識を持っているので、他団体にいくことはないと思うけど」 試合後、山中は「とりあえずは何も考えられない」と進退についての明言を避けた。本田会長も、「それは山中の気持ち次第」と、決断は本人に預けた。34歳。もう限界が近づいていることは確かである。 7回TKOでクリアした同級6位のカルロス・カールソン(26、メキシコ)との12度目の防衛戦でも格下相手に“被弾”が目立った。多少のディフェンスのミスを“神の左”の一撃でカバーするというパターンの危険度は試合毎に増加していた。この試合では、ネリのスピードもあり、さらにその傾向は顕著に出た。大和トレーナーが、会長の了承も得ずに、思わずタオルを投げた背景には、傷つくことなくリングを去らせてあげたいとの親心が働いたのは間違いない。ただしそれが、あのまだダメージもダウンもなかったタイミングでよかったのか、プロの行動としてどうかの是非はあるだろうが。 一方、ガウンのフードをかぶり、トレーナーに抱えられながら号泣してリングを去った山中の姿には無念さがにじんでいた。こういう負け方は想像できなかったのだろう。終わるに終われない、が本音かもしれない。 「これだけ多くの方が応援してくれたのに期待に応えられないのが…」 会見の途中で山中は、言葉を詰まらせて、また涙した。 不完全燃焼。そして満員札止めとなるほど応援してくれたファンへの懺悔。今後、再起に気持ちが傾く条件は揃っている。ただやるなら、もうネリへのリターンマッチにしかモチベーションはないだろう。 そのネリは、リターンマッチについて「プロモーターが決めれば従うが、今度はティファナ(地元)での試合を条件にする。同じ結果になるだろうがな。俺はパッキャオやマルケスのような王者になり、無敗のまま引退するんだ」と、上から目線だった。 最後に。 意外な結末で大記録に並ぶことは叶えられなかったが、山中が6年間積み上げてきた12回の防衛記録が色褪せることはない。元2階級王者のビッグネーム、ビッグ・ダルチニアン(豪州)との初防衛戦に始まり、日本人キラーだったトーマス・ロハス(メキシコ)、国内所属ジム最強だったマルコム・ツニャカオ、スリヤン・ソールンビサイ(タイ)、モレノ(パナマ)との2度にわたる激戦など、最強挑戦者を次々と倒しながら、大記録のかかったV13戦に不気味な無敗の最強挑戦者を選んだのだ。 「男らしい。そして素晴らしい人間だ」 偉大なる具志堅氏は、山中の拳譜を、そう表現した。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)