宇多丸×ピーター・バラカン「オススメしたい音楽映画」は? お気に入りの作品を語り合う
◆“豊かな人生”を考えさせられる1本の映画
柴田:では、宇多丸さんのおすすめの音楽映画をお願いします。 宇多丸:僕がおすすめする映画は「シュガーマン 奇跡に愛された男」です。2012年の作品で、日本では2013年に公開されました。その年のアカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞を受賞して、当時話題になりました。今、うしろで流れているのが(“シュガーマン”ことシクスト・)ロドリゲスさんという、1970年代初頭にデビューしたシンガーソングライターの曲です。あえて言うのであれば、ボブ・ディランのもうちょっとストリート寄りかもしれない。 ロドリゲスさんは2枚のアルバムを出したのですが、あまり売れなくて。そういう人は世の中にいっぱいいるかもしれないけど、「絶望してステージ上で自殺した」みたいな都市伝説が残っているところから話が始まるんです。前半は不遇に終わったミュージシャンが語られます。 そこから場面がガラッと変わって南アフリカに行くんですよ。南アフリカでは昔アパルトヘイトという人種隔離政策をやっていて、若者たちのアパルトヘイト反対運動の象徴としてロドリゲスさんの歌が国中で聴かれていたんですね。つまり、世界で誰も知らないと思われていたロドリゲスさんは、南アフリカでは国民的スターだったんですよ。 バラカン:でも、その情報は南アフリカ以外では知られていなかったんですよね。 宇多丸:そうです。不思議なことになっているんだなと思って映画を観ていたら、途中で存命のロドリゲスさんの家を訪ねていくんです。 バラカン:音楽は完全にやめているんですよね。 宇多丸:決してお金持ちって感じではないんだけど、とても知的で素敵なご家庭を築かれていて。南アフリカに呼ばれてライブをするのは1993年なんですけど、現地の人は「ロドリゲスって実在したんだ!」みたいな感じで。ロドリゲスさんは何十年も音楽をやっていなかったのに、いきなりスタジアム級のライブをやることになるんですよ。見た目的には「大丈夫?」って感じのおじさんなんだけど、歌い出すと「本物だ!」となるわけです。この人のすごいところは、ようやく世界で認められたはずなのに、音楽の活動ではなく肉体労働に戻っていくんですよね。 バラカン:アメリカのデトロイトですよね。けっこう貧しいアパートに住んでいてね。 宇多丸:この映画はアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞して脚光を浴びるのですが、それでも「仕事があるのでアカデミー賞には行けません」みたいな感じで。もちろん、彼は音楽を断念するときに深く絶望したと思うんです。本当に断念したからこそ、音楽をやめてこの何十年で築き上げてきた人生をたぶん否定したくないというか。 だから、「あなたは南アフリカで再び脚光を浴びなくても十分偉大な人生ですよ」と言いたくなるんですよね。何が豊かな人生で何が人を偉大な存在にするのかみたいなことを考えたとき、僕はことあるごとに(この映画を)思い出しちゃうんですよ。またね、ロドリゲスさんの曲もすごくいいんです。 バラカン:そうそう! なんで当時まったく売れなかったのか不思議なくらいです。 宇多丸:この映画はツアー中、ちょっと離れた映画館で観たんですけど、帰りにこの映画のサントラを聴いて、それも込みで忘れがたいというか。ときおりロドリゲスさんのことを思い出す、そんな映画なんですよね。まさにドキュメンタリーの醍醐味といった作品なので、ぜひおすすめしたいです。