幕末・維新150年「なにわの歴史舞台を歩く」
戊辰戦争で徳川幕府勢に勝利した官軍が明治新政府を樹立したのが1868年。2018年は幕末・維新から150年の節目に当たる。近世から近代へ。歴史転換の舞台は京や江戸に限らない。なにわで歴史が動いた現場を辿ってみよう。 戦いの勝者示す重要度「大坂城戦史」展で歴史をひも解く
軍政改革者・大村益次郎の死
大阪市営地下鉄谷町四丁目駅で下車し、上町筋を南へ歩くこと数分。石造りの重厚な構造物が迫ってくる。長州藩士大村益次郎を顕彰する大阪市中央区の「大村益次郎殉難報国の碑」だ。 太平洋戦争開戦を翌年に控えた1940年の建立という時局柄もあり「明治兵制の創始者」としての大村の功績を改めて評価する内容になっている。賛同者が列記され、伊藤忠兵衛、野村徳七、松下幸之助ら、関西経済界主要メンバーの名前も確認できる。 大村は若くして蘭学や医学などを習得。軍事に長じ、戊辰戦争を転戦して官軍の勝利に貢献。新政府では兵部大輔に就任し、軍政改革に着手した。 しかし、1869年に京都で急進的な改革に反対する刺客に襲われて重傷を負い、運び込まれた大阪の病院で死去。維新を成し遂げたものの、軍事力に勝る欧米列強の脅威にさらされ続ける新政府にとって、大村の死は大きな痛手となった。
中之島の蔵屋敷は治外法権の大使館
地下鉄肥後橋駅で降りて、大阪市西区の土佐堀通を西へ。ビジネスパーソンらが忙しげに行き交う通りに面して、大村が所属していた長州藩と、西郷隆盛や大久保利通らが拠点とした薩摩藩の蔵屋敷跡の顕彰碑が、やや離れた位置に建つ。 江戸期の中之島には、諸藩の蔵屋敷が集積していた。徳川将軍と全国諸藩の連合制ともいえた徳川政権では、雄藩の蔵屋敷は大使館のような存在だった。幕府の威信低下に伴い、幕府の干渉を拒める治外法権の政治力はますます強まっていく。 政局の火花が散る京と大坂は、淀川の三十石船で直結。中之島は大阪湾、瀬戸内海を通じて西国とつながっていた。維新の志士たちは蔵屋敷を中継基地として利用することで、隠密裏の移動や情報交換をやってのけた。150年前の土佐堀通を歩いてみたい。