江川卓との初対決で高橋慶彦は「カーブを打った」だがその後は「空振りしていた記憶しかない」
東京の城西高(現・城西大城西)出身の高橋は、江川フィーバーの翌年、1974年夏の甲子園に東東京代表として出場している。 「オレらの代には、夏の甲子園で優勝した銚子商業の土屋正勝(元中日ほか)、土浦日大の工藤一彦(元阪神)、横浜の永川英植(元ヤクルト)、鹿児島実業の定岡正二(元巨人)がいて、彼らは"高校四天王"と呼ばれていた。プロに入ってから対戦したことはあるけど、高校時代はなし。 まあ、高校時代に速い球なんか見てないからね。だからプロに入ったら、みんな速いと思った。とくに速かったのは、同じ広島の外木場義郎さん。阪急の山口高志さんもすごかった。昭和50年、オレが入った時の日本シリーズ。バックネット裏で見ていたんだけど、びっくりしたね。変化球にしても、ボールがなんでこんなに曲がるのかと思ったからね。でも江川さんのボールはほんとにすごかった」 【江川卓との初対決】 高橋に江川との対戦成績(140打数31安打、打率.221、本塁打1、打点2)を伝えると、こんな答えが返ってきた。 「そんなもんだよね。ホームラン打ったのは覚えてないなぁ。覚えているのは、カーブを打ったことと、江川さんが鼻血を出して降板したこと」 高橋と江川の初対決は、1979年6月17日の後楽園球場。江川がプロ初勝利を挙げた日でもある。カーブを打った覚えがあるというのは、この日のことである。 3対1と巨人の2点リードで迎えた8回表、1アウトから高橋は外角のカーブをおっつけてレフトオーバーの二塁打を放った。 「カーブを打って、レフトオーバーのツーベースになったのは覚えている。そのあと江川さんが降板したんだ、鼻血を出してね」 江川は3度目の登板でプロ入り初勝利を飾ったが、8回途中に鼻血を出して降板したことで、翌日のスポーツ紙の一面は『江川、鼻血ブー』。とにかくこの頃の江川は、メディアから好き勝手に書かれていた。